安易な批判は軽率 |
---|
2018年10月30日(火) 3年余に亘りイラクの反体制派武装集団に拘束されていた安田純平氏が帰国することができた。解放された経緯は明確になっていないものの、 「安田純平さんの拘束と解放の経緯 2015年6月、内戦下のシリアを取材するため、トルコ南部からシリア反体制派の支配地域イドリブ県に入り、行方不明に。16年3月、ネット上に安田さんとみられる動画が投稿され、拘束が判明。その後も写真や動画が複数回、ネット上に出た。今月23日に解放された。日本政府はカタールとトルコの協力があったとしている。」(2018年10月26日 朝日新聞)と伝えられている。 この解放劇に対し、ネット上、TVなどで、「国費が使われた、国が救出した経費を返還せよ、自己責任なのだから責任をとれ」など、ごうごうたる非難の声とともに、賞賛の声も聞こえてきている。 感情的とも思える激しい言葉が妥当と言えるのかも含めていくつかの点について考えてみたい。 1.安田氏は何のために危険な戦闘地帯に出向いたのか 安田氏はイラク軍基地訓練施設に労働者として潜入して戦争ビジネスの実態をレポートした『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』(集英社新書)を発表したり、シリア内戦の緊迫した凄まじい日常に肉薄する現地取材を伝えてきた希有なジャーナリストである。安田氏は国内の大手メディアが報じない戦場やテロリスト組織の実態を明らかにするため、つまり国民の知る権利を守るためにシリアへ渡ったのである。 2. 日本政府は安田氏の救出に最後まで関与していたのか 安田氏は帰国の機内でNHKの直撃に「トルコ政府側に引き渡されるとすぐに日本大使館に引き渡されると。そうなると、あたかも日本政府が何か動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないかと。それだけは避けたかったので、ああいう形の解放のされ方というのは望まない解放のされ方だったということがありまして」と語った。 今回、安田氏救出に至ったことについて多くの中東の専門家の分析によると、日本政府がカタールやトルコを動かしたということでなく、「ただの政治的成り行きだった可能性が高い」との見方がある。 安田氏が拘束されていた反体制派はアサド政権の攻勢をうけ、拠点であるイドリブ県が危うくなってきている。解放交渉に乗り出したカタールも同国が中東で孤立している状況を改善するため、トルコと協力してジャーナリストの救出に尽力、ジャーナリストを殺害したサウジアラビアとの違いをアピールする狙いがあったと見られ、こうしたシリアをとりまく情勢の変化が、救出という方向につながったという。 菅官房長官によると、安田氏の解放情報を日本政府がカタールから得たのは23日午後9時ごろとしているが、安田氏はこのときはすでにトルコの入管施設にいた。また、在英のシリア人権監視団は「4日ほど前にシリア領内でトルコの仲介により、トルコと関係の深い非シリア人武装組織に引き渡された」(時事通信10月24日)と述べている。 数日前から「安田氏解放」の情報は流れていたものの、このことを日本政府が把握したとは伝えられておらず、政権関係者も一部のメディアで、「カタールやトルコと連携を密に取り始めたのは、解放の情報をつかんだ23日から」と発言。 「官邸を司令塔にして働きかけた結果」という官房長官発言は疑わしい。日本政府が積極的に関わっていたという経緯が全く伝えられてないのはどういうことなのか。 安田氏は、犯行グループに「日本政府とのやりとりは途中で途切れた」と聞かされたとした上で、「日本政府に関する情報は、彼ら(グループ側)が言っていることしか分かりようがない」、「日本側が、犯行グループと連絡を取っていたころはゲスト扱いで、毎日のようにケバブやチキンが出て非常に待遇が良かった。日本側が連絡を絶って1年後ぐらいに虐待が始まった」と帰国便機内で話している(2018年10月26日朝日新聞)。 安田氏が「日本政府が何か動いて解放されたかのように思われることを避けたかった」と言った背景には、政府が今まで自国民の救済に積極的でなかったという状況を考え、自分の解放が政権の宣伝に利用されかねないと危惧しての発言だったのではないか。 3. 日本政府に自国民の命を守ろうとする気概があったのか 2004年に発生したイラクでの邦人3名の人質事件の際、日本では自己責任論が噴出。とくに現地でボランティア活動を行っていた高遠菜穂子氏が解放の後、「今後も活動を続けたい」と語ったことに対し、当時の小泉首相は「寝食忘れて救出に尽くしたのに、よくもそんなことが言えるな」と激昂している(彼女は現在もイラク支援ボランティアを続けている)。 安倍首相はエジプト経済合同委員会合政策スピーチ(2015年1月17日首相官邸HP)で 「… イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、 IS がもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、 IS と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。…」と演説した。 自国民が拘束されている時に、わざわざ日本は IS に敵対していると言わんばかりの演説をなぜ行ったのか気が知れない。 IS はこの演説を敵対行為と受け止め、拘束されていた後藤健二氏、湯川遥菜氏は同年2月1日に殺害された。 人質の解放交渉はもっぱら後藤氏の妻によるメールのやり取りに頼っており、政府が後藤氏の妻のメール交渉には、文面も含めて関わっていなかったことが政府関係者らの証言により判明している(朝日新聞2015年4月16日)。 IS とパイプをもつイスラム法学者の中田考氏やジャーナリストの常岡浩介氏が湯川氏解放に向けて動いていた最中にも、公安に IS の関係先として家宅捜査させるなどの妨害をおこない、中田氏が IS の司令官であるウマル・グラバー氏から得た情報をつぶさに報告するも、それを無視していた。 4. 海外ではどうなのか 2004年4月中旬、パウエル国務長官は高藤氏ら人質3人の解放を喜び、「イラクの人々のために、危険を冒して、現地入りする市民がいることを日本は誇りに思うべきだ」と語っている。また、 フランスのル・モンドも、「外国まで人助けに行こうとする世代が日本に育っていることを示した」と高遠氏らの活動を評価した一方、日本に広がっていた人質への自己責任論については、「人道的価値観に駆り立てられた若者たちが、死刑制度や厳しい難民認定など(国際社会で)決して良くない日本のイメージを高めたことを誇るべきなのに、政治家や保守系メディアは逆にこきおろしている」と強く批判している。 米国のニューヨーク・タイムズは「イラクで人質になった日本の若い民間人は、黄色いリボンではなく、非難に満ちた、国をあげての冷たい視線のもと、今週、故国に戻った」と日本国内の異常さを表現し、「帰国後も自己責任だと人質を追い詰める日本政府の態度を”凶暴な反応を示した”」と非難。「(人質である)彼らの罪は、人々が ”お上” と呼ぶ政府に反抗したことだ」とした。またワシントン・ポストも自己責任論に言及している。 英国のロイターは「日本では、イスラム国人質事件の被害者を攻撃する者がいる」という見出しの記事を掲載。「日本政府の対応と同胞である日本市民たちの態度は、西欧諸国のスタンダードな対応とはまったく違うものだった」と日本における人質への冷酷な受け止め方を紹介した。 5. 自己責任という考え方は妥当なのか。 外務省設置法で「海外における邦人の生命及び身体の保護」にあたると定められていることが法的な根拠であり、自国民の生命保護は、国家の責務である。 安田氏と同時期に拘束されていた記者サストレ氏は 「シリアには、国際社会から忘れられた人々が今もたくさんいる。私はシリアで出会った人々に責任を感じている。シリアで出会った人々の声を、世界に伝えることで責任を果たしたい。安田氏も私と同じ志を持っていると思う 安田氏と交流してきたというジャーナリスト高世仁氏は、 安田氏が「戦争を知らない日本人に戦場のリアルを伝えないと、日本が危ない方向に向かってしまう」と話していたのを思い出す。「安田君は志の高いジャーナリスト。心身が回復したらまた取材活動を続けてほしい」と願っている、と語っている。 安田氏がなぜ「あたかも日本政府が何か動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないか」となぜ言わなければならなかったかを知らずして、非難するTVの情報番組の女性司会者は浅はかの極みである。 いずれもSNSなどを使って大した考えなしに「つぶやく」ことは腹立たしい。思いつきで放った言葉が関係者をどれほど傷つけるかを考えない愚かさを知るといい。今の日本で表現の自由は保障されているが、考えなしの発言、書き込みが自らの愚かさを表していることを知らなければなるまい。 メディアや政府の言うことを鵜呑みにして「日本政府が動いたのにこんなことは言うべきじゃない」など非難するメディア関係者がいる。メディアのなすべきことは、自己責任論を旗にしてバッシングを垂れ流すことでなく、政権が国民を救出のために何かをやってきたのか、なぜ紛争が起こっているのかを検証することではないか。 シリアでは毎年100人以上のジャーナリストが犠牲になっている。米国のケリー国務長官は「紛争地の危険を回避するのは沈黙すること。だが、それは降伏・放棄することだ。そうしてはならない。メディアは政府から独立すべきもの」と語っている。 事実を知らないことは、起こったことを認めること、虐待者に力を与えてしまうことにほかならない。紛争地で今も起こっている非人道的な行為を知ることが、それらを抑止することにつながるのではないか。安易な自己責任論はあまりに軽薄である。 安田氏の無事の帰還を心から歓迎する。今まで経験した紛争地の実相をぜひ書物にして知らしめたほしいと願う。 |
<前 目次 次> |