元日の社説を読んで |
---|
2019年1月2日(水) ことしも元日の社説を読んだ感想を書いてみたい。 █ 朝日新聞 「政治改革30年の先に 権力のありかを問い直す」 自民党が「政治改革大綱」を出してから30年。目指したはずの「二大政党」が幻影にとどまっている現状に、「政治改革がもたらした功と罪を総括し、次の段階に進むべき時である」として論を進めている。 「民意を大胆に”集約”する仕組みである小選挙区制の行き着いた先は、首相官邸への権力の集中はすさまじい”安倍1強”である。政治とカネをめぐる醜聞の温床とされた中選挙区制の復活は論外」とし、「比例代表中心の制度に変え、適度な多党制を常態にすれば、力任せの多数決主義は影を潜め、与野党の合意形成を重んじる熟議の民主主義になるとする議論に一理ある」としている。 「国会を強くする必要」のために、「憲法53条の、衆参どちらかの総議員の4分の1以上の要求があれば内閣は臨時国会を召集する、について、要求が出てから一定の期間内に召集させるルールを明文化すべし」、「”首相の専権”とされている(下注*) 衆院の解散権に、縛りをかけるべし」などの提案がされている。 例年と異なり、「権力のありかを問い直す」の一点に絞って分かりやすい論だ。換言すれば、政治に関する独断、諸悪の根源は現在の小選挙区制が「民意を忠実に反映してないことにある」の一点という主張だろう。全く同感である。 █ 毎日新聞 「次の扉へ AIと民主主義 メカニズムの違いを知る」 「膨大な個人データをAIが処理するとき、私たちは思いがけない事態に直面する」として、「プラットフォーマーと呼ばれるグーグルやフェイスブックの主な収入源は広告とし、……利用者は無料でサービスを受ける代わりに、好みなどの個人情報を差し出す。それがビッグデータとして集積された段階で莫大な市場価値を生むように設計されている。強力なAIは利用者の消費性向を知り尽くそうとし、その精度が高まれば、政治分野に応用することは容易だろし、2016年の米大統領選に際してフェイスブックから最大で8700万人分のユーザー情報を入手し、トランプ氏が有利になるよう操作した疑惑が上がっていることはその一例である」としている。 また、「政治的に見れば、SNSは人びとの不満を増幅させて社会を分断する装置にも、権力者が個々に最適化させたプロパガンダを発信する道具にもなり得る」「これまでAIに対し無防備過ぎたかもしれない」と問題を投げかけている。 以前は、「この作業はコンピューターがやったから信頼できる」と固く信じていた時期があった。これからの潮流としてのAIを盲信することは、プライバシーに敏感であるはずの人物が、スマホ、PCなどの便利な道具を使うことによって、実は個人情報を洗いざらい抜き取られ、知られているかもしれない。 所詮コンピューターもAIも人間が作った一つの道具であることを考えておくべしという問題提起とすべしなのだろう。 █ 東京新聞 「年のはじめに考える 分断の時代を超えて」 年頭での問題提起。「分断ではなく対話の時代であれ、ということです。世界は、そして私たちは歴史的試練に立たされているのではないか」 現状分析。 「平成の始まるころ、世界では東西ベルリンの壁が壊れ、ソ連が崩壊し、日本ではバブル景気がはじけ、政治は流動化し非自民政権が生まれた。……欧州では共通通貨ユーロが発行され、中東ではパレスチナ、イスラエルの和平合意。日本では二大政党時代をめざす政治改革。時代は勢いをえて、世界は自由と競争を手に入れたかのようだった」。 しかし、その後「経済の競争は、労働力の安い国への資本と工場の移転で、開発国の経済を引き上げる一方、先進国に構造的経済格差を生んだ。リーマン・ショックは中間層を縮め失職さえもたらし、悩み苦しみ、未来に希望をもてない人がでてきた。憲法や法律には不公正も不平等もないはずなのに、それらが実在するというゆがんだ国家像がある」。 「日本は”非正規”という不公平な存在を生み、貧困という言葉がニュースでひんぱんに語られるようになった。それらに対し、政治はあまりにも無力、無関心だったのではないか」の指摘は正しい。 政治情勢について。 「欧米でも日本でも目下最大のテーマは民主主義、デモクラシーの危機にある。国民を友と敵に分断するシュミット流の、敵をつくることで民衆に不安と憎悪を募らせ、自己への求心力を高めるような分断政治が内外で進んでいるかのようです。多数派の独走。議会手続きを踏んだふりをして数の力で圧倒してしまう。実際には国民の権利が奪われている」。 「健全な民主主義を取り戻すに」 「(政治が)うそをつかないこと、情報を隠さないこと、多数派は少数派の声に耳を傾けること」としている。「民主主義とは私たち自身。生かすのは私たち。危機を乗り越えて民主主義は強くなる」のであって、<民主主義は死なない>という。 最後に引用された「シュメールの王様」の話は興味ある。「シュメールの王様は、増長をいましめ、謙虚を思い出すため、ときどき神官にほおを平手打ちしてもらった」というものだが、今の日本の多くの政治家特に政権にある政治家は、どれほど平手打ちされなければならないか。打つべき神官は無論のこと罪なき民である。 █ 読売新聞 「米中対立の試練に立ち向かえ 新時代に適した財政・社会保障に」 「米国が内向きの政治に転じ、欧州は、ポピュリズムの横行と英独仏の混迷で求心力が低下した。世界の安定を支えてきた軸が消えつつあるようだ。こうした中で、最も警戒すべきなのは、米国と中国の覇権争いによる混乱である」から始まり、トランプ外交への懸念、多国間協調の再生図れ、一貫性ある対中政策を、将来不安の払拭急務だ、など多岐にわたり、うなずける点もあるものの冗長に過ぎた感がある。 最後に、「日本は幸いにも、社会の極端な分断、極右・極左勢力の台頭、深刻な格差といった、欧米に見られる混乱を免れている。安定した社会を、治安の良さや、教育への熱意、勤勉の尊重といった美点とともに次代に引き継ぎたい」とあるが、働く者を消耗品扱いにし、非正規雇用を始めとする経済的な分断が、少子化にも直接的につながっていることについての論を望みたい。 「国民の後ろ向きの気持ちを」論じている中で、過去最大417兆円(2018/3月財務省)にもおよぶ企業の内部留保(企業の利益から配当を差し引いた残額の過去からの累積で、単なる余剰金でないとの見解もあるそうだ)についても論じてほしいところである。 ことしも自国主義が罷り通り、グローバルな協調がますます困難な年になる世界情勢である。国内では数の力で国民を蔑ろにした政治が行われることが予想される。最近の十分論議されなかった入管法改正案や、あっという間に成立した水道法改正案にしても、裏で利権の影が見え隠れしている。また、とてつもない軍事装備を米国から売りつけられることが伝えられている。 一方で、生活保護費、高齢者に対する医療費負担増加など、戦後の日本社会を支えてきた、声を上がることのできない善良な市井のひとびとが安心して生きにくい方向に向かっている。新聞は華やかなオリンピックを称えるだけでなく、いまだ原発事故、自然災害で自宅に戻れないひとびとのことを忘れることなく、政治、社会について問題点を明らかにし、伝え続けてほしい。 注* 解散権についての参照 拙文 「日々の抄 何ための解散か<解散権は首相の専権事項なのか> 2017/9/27」 |
<前 目次 次> |