樹木は成長して背丈を伸ばすほど生きにくくなる |
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2004年4月24日(土) ジャカルタに住む若者への便り インドネシアでの様子、まるで小説の一ページを読んでいるようで感じ入って拝読。面白い文章です。 深夜の人間模様が見え隠れし、日本人的な、お客様は神様式の横柄さが見えてきて興味深いものがありますが、腹立たしさもあります。正直者が損をする図式はいかにも日本的なのだろうか。こういう記録を書きためて纏めれば「インドネシアからの便り」とか「インドネシアの風」などの名前のエッセイ集ができそうでいいね。 今回のイラク人質事件に見るように、日本人は相手が下手にでると同情し、自己主張すると時流に乗って叩きにかかるという、全く私の嫌いな面が連日報道され不愉快な気分でいる最近です。他人を非難し優越感にひたって正義の味方の気分でいるらしい。世界の各国でも人質になった人々を評価する報道が少なくない中で、人質に対する非難、中傷誹謗を当然の権利のようにして書き立てたり、帰国直後には「税金」、「恥を知れ」などという信じられないプラカードで迎えている日本人に対する非難が集まっているようです。 今までの日本には判官贔屓というものあったが、最近はそうではなくなってきているように感じます。インドネシアや他の国にはこの判官贔屓というものがないそうですね。だから弱い立場にいる人には徹底的に痛めつけるという、見るも無残な光景が見られるそうで、犯罪者を警察に引き渡ずリンチが行われるなど考えられないことです。軽微な罪で刑期が短いこと、賄賂がきくことを国民が知っているから、というのも信じられない。イスラム教義にある「目には目を、歯には歯を」が根にあるとのことだが、旧約聖書(出エジプト記)にもあるからイスラムだからということではなさそうですね。 個性の時代が来たなどと言っておきながら、他人と異なる行動を快く思わないような現在の日本で、世界に出て日本人であることに誇りを持って胸を張っていられるか大いに疑問です。学校でも目立つことを嫌い、教員も横一列に並ぶことが善であるように指導している結果、おとなしいが面白みのない生徒が多くなっているのは当然のことです。それぞれの人間が個性を持って考え行動することを認め合っていけるような、いわゆる 「個人主義」がこれから求められるのではないかと思います。今の日本は個人主義と自己主義=我が儘を考え違えしているようです。同じ顔をしている双子でも全く同じ人間ではあり得ない。自分が尊重されたければ他人も同様に認め尊重することがなかなかできていないようです。 「樹木は生長し背丈を伸ばすほど生きにくくなる」そうです。つまり、背丈を伸ばすほど風雨や大気汚染の影響を受けやすくなるということ。皆、同じ背丈なら同じように成長し生きにくさもほどほどということでしょうか。成長が早かったために台風で倒されるということも起こりうることです。運動会で順番をつけなくなったり、成績もプライバシーの尊重とやらで一切比べるための努力をしたがらない風潮の中で、「あいつには負けたくないから頑張る」という、切磋琢磨による成長は望みにくくなっているようです。 君の友人が、観葉植物を室内で栽培するとき、一度枯れる寸前まで水を与えないことにより、木が水を求めて根を土中に張り巡らさせ、しっかりしたものに育てるいうのは興味のある方法だね。君が望む、見えない根をしっかり張り巡らせた人間、が逞しい自分につながると思うが、一番の問題は何が自分の「根」であるかを考え、模索し続けることなのかな。 南方で採れる「バルサ」は柔らかい木で成長がかなり早いそうです(模型飛行機などに使う軽い木です)が 「リグナムバイタ 」という木は生長が遅い代わりに、密度が高くずっしりと重い木に成長するそうです。他人と同じように軽い木でも早く成長するか、時間がかかっても重みのある風格のある木になりたいか、人それぞれなのでしょうが、私は「リグナムバイタ」のような樹木であり続けたいと思う。私も大学生活は仕事をしながらの生活で余裕のない学生生活でしたが、それだけに社会に出てからは「少しでも新しい事を知りたい」と思う気持ちを現在までも持ち続けていられるのは嬉しいことです。「日々是成長」はまだずっと続きそうです。 |
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