英語民間検定試験は中止せよ |
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2019年11月3日(日) 2020年度から始まる大学入学共通テストへの英語民間検定試験について、萩生田文科相は11月1日の閣議後記者会見で、「自信を持って受験生に薦められるシステムになっていない」「経済格差や地域格差を広げるなどに対し、十分な対応策が間に合わない」などを理由とし2020年度は見送ると発表した。 民間試験は大学入試センターと協定書を締結した六団体の七種類。受験生は2010年4〜12月に最大二回受験。各大学は成績を出願資格にしたり、大学独自の試験に加点したりする仕組みで、受験に必要な「共通ID」の申し込み受け付けを1日午前から開始予定だったその日での見送り発表だった。 以前の大学入試センター試験にあった発音やアクセント、語句整序などの単独問題は、共通テストでは出題されない予定だった。筆記試験200点、リスニング50点だったセンター試験の配点を、共通テストでは、リーディング100点、リスニング100点に変える予定だったが、それらはどのように変えられるのか。共通テストの民間試験を使うことを前提に、一般入試で英語の個別試験の廃止を発表している大学では入試の前提条件が変わってくる。 以前から、高校、大学、受験生などから挙げられていた民間試験への危惧は次のようなものだった。 (1) 受験会場への地理的条件による不利益がある (受験場まで何時間もかかる地方、週に一便しかない離島の受験生は一週間登校できないことになる。都会と地方の地理的格差は明白。また、予定されている受験会場は15都道府県に限られ、滞在費、交通費の負担は多大である。四国には試験会場はない。民間試験なら採算のとれない地域で試験しないのは当然だろう) (2) 種類が異なる試験の成績を同列に比較できるか (七種類に及び異なる試験を同列に判断できるのか。質や公正性が担保されるか疑問である) (3) 受験料を払えば何度も受験できることの不公平 (高校3年で受けた最大2回分の成績が評価対象になるが、その他にも練習で受検し、数種類を試して自分に有利なものを選ぶことも可能であり、経済格差が教育格差につながる。民間試験の最高額は2万五千円余に及び、共通テストでも一万五千円必要であり、経済的負担が大きい) (4) 仕組みが複雑で大学ごとに成績の利用法が異なる (複数校受験する場合、大学ごとに成績利用法が異なる不都合が出る) 萩生田文科相は10月11日の衆院予算委員会で、2020年度からの大学入学共通テストへの英語民間検定試験の導入について「一つ一つ不安を払拭してきたという思いがある。課題は残っているが、来年はこれで行く」と述べ、導入する方針に変わりはないと強調していた。 だが、10月24日夜のBSフジの番組で、文科相は受験生の間で不公平が生じる懸念について「『あいつ予備校に通ってずるい』というのと同じだと思う」、「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と述べ、一方、民間試験の実施に当たり「(受験生に)できるだけ負担がないように知恵を出したい」とも話した。この「身の丈」発言に内外から抗議の声が上がった。この言葉は、「貧乏人はそれなりにやればいい」と聞こえ、格差を政府が公然と肯定したことに他ならない。 抗議の声に驚いたであろう文科相は、はじめ謝罪はするが撤回するとは言わなかったが、その後「英語民間試験は、受験機会の均等さえ担保できない不公平な制度。それを放置して、言い繕おうとするから『身の丈』や『自分の都合』という言い方になったと発言を撤回した。つまりは、批判の声がなければ、自分の発言が「格差を肯定する」ことだということなど気づくことはなかったと言うことだろう。 大学入学共通テストへの英語民間検定試験については、公表されてから、教育現場から「公平で公正な試験が実施できない」などの懸念の声があり、「希望者全員が受けられるのか」に対し、各団体とも、十分な会場を確保できると主張したが、「会場確保のメドは立っているのか」に対しては、一部の団体が「東京五輪の影響で立地が良い大きな会場が借りにくく、会場を公表できていない」と明かにし、ある団体の関係者は、「文科省も入試センターも、高校や大学、国会などから上がる要望を、実行可能かどうかも考慮せず、業者に投げてくるケースが多い」と、不信感を打ち明けており、見切り発車は明白である。 文科相は「私の(就任した)時点で見直しや廃止をするというのは大きな混乱になるので、実施を前提に全力を挙げたい」、「一つ一つ不安を払拭してきたという思いがある。課題は残っているが、来年はこれで行く」と明言しておきながらひと月も経過しないうちに、「受験機会の均等さえ担保できない不公平な制度」だから「延期する」としているのはどういうことか。どのような不安をどのように払拭してきたのか、何が課題だったのか、受験機会均等をどのよに担保するのか、について語らずして、前言を翻したことの原因は、今まで通りに突っ走れない事情によることに他あるまい。 それは、経産相、法相の辞任に続く文科相の辞任回避、政権保身だろうことは明らかだ。 受験生のことを考えてのことなら、2016年に民間試験を公表してから、検討過程でいくらでも延期する機会はあったはず。いったい今まで文部行政、政府は何をやっていたのか。この期に及んでの延期で受験生、教育現場、関係した民間業者に多大な損害を与えた文科省、文科相、政府に猛省を促したい。格差を無視してきた現政権の、文部行政の無責任体制が露呈した。 また「身の丈」発言の文科相を、「適材適所」とかばった菅義偉官房長官の責任も問われる。自分にとって「適材適所」だけで、文部行政とってではあるまい。政府が頻繁に語る「丁寧に説明する」「適材適所である」「誤解を招いたのなら」は、すべて信用できない。 東京五輪に向けて英語力向上が叫ばれ、来年から小学校5,6年生で英語を教科にするというが、評価すべき英語を自信を持って指導できる教員の養成は行われているのか。甚だ疑わしい。 「教育は国家百年の計」である。目先の「何か新しいことをすれば改革になる」などと小賢しいことを考え、教育現場の意見にも耳を傾けることなく、強引に制度を変えることはやめてほしい。 国際人として通用するために英語力が必要であることは当然である。だがその前に、正しい日本語を学習し、能、狂言、歌舞伎などの古典芸能、古典文学など日本文化を知ることが出発点ではないか。日本を知らずして国際化はあり得ない。 本来、国が行うべき試験を民間に委託することが間違っているのだ。英語民間検定試験は延期でなくて中止すべきである。 |
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