日々の抄

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 元日の社説に思う

2020年1月4日(土)

  ことしも元日の新聞各社の社説を読んだ感想を書いてみたい。

朝日新聞
『2020年代の世界 「人類普遍」を手放さずに』と題し、
『「普遍」とは、時空を超えてあまねく当てはまることをいう。抽象的な言葉ではあるが、これを手がかりに新たな時代の世界を考えてみたい』という観点で論を進め、国連の掲げた17の「持続可能な開発目標」(SDGs)の、「普遍的な」目標をどこまで迫ることができるかが20年代の世界を見る一つの視点になるとしている。

 各論の『リベラルめぐり応酬』では、
 『SDGsがめざす、人権、人間の尊厳、法の支配、民主主義が、「普遍離れ」として、「リベラル」を自由や人権、寛容、多様性を尊ぶ姿勢を指すなら、ロシアのプーチン大統領の強権的なナショナリズムによる「リベラルの理念は時代遅れになった。それは圧倒的な多数派の利益と対立している」の発言は、移民を敵視している米国のトランプ大統領の自国第一に重なり、自由民主主義陣営の勝利と称揚された冷戦終結は、「歴史の終わり」ではなかった』、としている。
 『固有の文化、伝統?』では、
 『「民主主義を奉じ、法の支配を重んじて、人権と、自由を守る」とする安倍政権の外交向けの言葉だけの普遍的な理念への敬意は、内政と相反する。国会での論戦を徹底して避けていること、権力分立の原理をないがしろにすること、メディア批判を重ね、報道の自由や表現の自由を威圧すること、批判者や少数者に対する差別的、攻撃的な扱いをためらわない、などである。これらは、「普遍離れ」という点で、世界の憂うべき潮流と軌を一にしていることはまぎれもない』、と断じている。
 『予断許さぬ綱引きへ』では、
 『戦後の世界を駆動してきた数々の理念を擁護するのか手放してしまうかの綱引きが20年代を通じ、繰り広げられるだろう、として最後に、「SDGsはうたう」として、「我々は、貧困を終わらせることに成功する最初の世代になりうる。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代にもなるかも知れない』で括っている。

毎日新聞
 『民主政治の再構築 あきらめない心が必要だ』と題し、
 『人権保障、権力分立、法の支配などの基本原理が危うさを増しており、深刻なのは、民主政治の起源でもある欧米の多くの国々で、ポピュリズムにより、敵か、味方かの二分法で分断を深める政治手法が共通。選挙で多数を得た力が、本来は異論との間で接点を探るために使われるべきだが、実際は多数派の論理で異論を排除する光景が日常化している 』とし、各論を展開。

 『ポピュリズムのうねり 』では、
 『08年のリーマン・ショックをきっかけとして、没落する先進国の中産階級の不満をあおることで、ポピュリスト政治家は上昇気流をつかむ一方で、問題は誰かのせいにされがちだ。真犯人を国外に求めたがり、トランプ現象も英国の欧州連合離脱もそうした表れ。ポピュリスト政治家は国際秩序に大きな価値を認めず、地球の持続可能性レベルの危機さえ招来している。
 安倍政権は、野党の異論に耳を傾けないどころか、敵視する姿勢さえ際立ち、ポピュリズムの潮流に沿っている』としている。
「20世紀初頭に近い」 では、
 民主政治の不安定化を受けた、フランスの経済学者ジャック・アタリ氏の『今の世界の状況を「20世紀初頭に近い」との形容』、「民主主義は非常に危機的になっている」との東大の宇野重規教授の言葉で紹介し、『あきらめる心にあらがいたい』で括っている。

東京新聞
 『年のはじめに考える 誰も置き去りにしない』と題し
 ことしは、この十年を区切る年明けとして、この二〇年代をどう生きるかを考える手がかりとして、四年前国連で当時十八歳のマララ・ユスフザイさんの言葉を紐解いて論を展開。

 『次世代と約束のゴール』『賑わう子ども食堂に光』では、
 『彼女は「世界のリーダーの皆さん、世界中の全ての子どもたちに世界の平和と繁栄を約束してください」と語り、この会議で採択したのが「持続可能な開発のための2030アジェンダ(政策課題)」。貧困、教育、気候変動など……開発目標(SDGs)だった。SDGs独自の取り組みは、「誰一人も置き去りにしない」、「地球規模の協力態勢」のふたつの合い言葉がある。
 だが、SDGsの起点ともなった、いまだ数十億の人々が貧困にあえぎ、いや増す富や権力の不均衡。採択後四年たつ今もやまぬ紛争、テロ、人道危機…などの過酷な現実がある。
 国内でSDGsの先駈けとして、リーマン・ショック後の〇八年、東京都内の公園で困窮者の寝食を助けた「年越し派遣村」で、「役所は閉まっている。周辺の(派遣切りなどで)路頭に迷う人が誰一人排除されぬよう、われわれで協力し合って年末年始を生き抜くぞ」とした湯浅誠さんが張り上げた一声があった。
 この動きは、全国に三千七百余にもおよぶ「子ども食堂」につながっている。こども食堂は食事を出すだけのみならず、誰も置き去りにされない、多世代が頼り合う地域交流の場として必要とされ始めた』としている。
 『政治が無関心であれば』では、
 『政治が、格差社会の断層に、弱い人々を置き去りにしたままなら、主権者一人一人が望んで動けば、変えられる』とし、「歴史的意義」をうたうアジェンダの一節である<われわれは貧困を終わらせる最初の世代になり得る。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代になるかもしれない>で括っている。
 
読売新聞
 『平和と繁栄をどう引き継ぐか…「変革」に挑む気概を失うまい 』と題し、
 前回五輪の1964年を回顧からはじめ、

 『自信は勇気を生み出す』では、
 『現状は、まれにみる平和と繁栄を享受、安倍首相の長期政権下で政治は安定し、諸外国が苦しむ政治、社会の深刻な分断やポピュリズムの蔓延もみられない。経済成長率は実質1%前後と低いが、景気は緩やかに拡大し、失業率は2%台で主要国の最低水準だ。治安は良い。健康、医療、衛生面の施策も整う、一方で、現状に困窮している人もいるが、「危機」ばかりが叫ばれ、不安や悲観が蔓延すれば、社会は活力を失う』としている。
 『中国に率直にただせ』では、
 『国際的ルールの順守と日米欧との共存共栄を促していく必要がある。「互恵関係」とは、中国を批判ことでなく、問題があれば、率直にただすべし。米国を世界秩序やアジア太平洋地域の平和と安定に建設的に関与させ、日本の国益を守ることが重要。米国を説得し、核軍縮、通商、環境など様々な分野で多国間協調の再生に努めたい。国内では、経済を成長させるための「変革」と、社会や民生の「安定」とを両立させる取り組みが、重要な課題であり、成長の鍵は、世界に広がる「経済のデジタル化」への対応だ』としている。
 『イノベーションの時代』では、「高速・大容量で、遅れや途切れがほとんどなく、多くの機器を同時に接続できる次世代の通信規格「5G」の商用サービス開始」への提案。
 『「働く機会」保障せよ』では、
 『労働者の再教育や再就職の支援も強化すべき、企業も雇用の促進に配慮し、利益を報酬や配当、投資など様々な形で社会に公正に分配する姿勢が求められ、多くの人に「働く機会」を保障する政策をもっと重視すべき、テレワークの導入、再就職や企業の人材補強を容易にする中途採用の拡充、高齢者に適した仕事の創出を進め、人事・賃金制度も柔軟に見直してもらいたい』としている。
 『問題解決の道を歩もう』では、
 『民間企業のもつ460兆円の内部留保を成長への投資に振り向け、さらに、家計が保有する現・預金は986兆円。株式などを含む金融資産全体では1864兆円ある。この「眠れる資金」を掘り起こして政策に活用できないか。重要な検討課題だ。社会保障や福祉、少子化対策に役立てたい』などとし、『国民各層が知恵を出し合い、政治が適切な政策を実行すれば、次の時代もきっと、問題解決の道を歩んでいけるはずだ』と結んでいる。
 
 
 朝日、東京はともに「SDGs」に触れているが、朝日は、『「普遍的な」目標をどこまで迫ることができるかが20年代の世界を見る一つの視点』としている。東京の括りの<われわれは貧困を終わらせる最初の世代になり得る。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代になるかもしれない>を望むのみである。
 
 毎日は『ポピュリズムにより、敵か、味方かの二分法で分断を深める政治手法』に危機感を感じ、『ポピュリスト政治家は国際秩序に大きな価値を認めず、地球の持続可能性レベルの危機さえ招来。安倍政権は、野党の異論に耳を傾けないどころか、敵視する姿勢さえ際立ち、ポピュリズムの潮流に沿っている』との指摘に同感だが、これに対し読売の『(国内では)諸外国が苦しむ政治、社会の深刻な分断やポピュリズムの蔓延もみられない』と対照的である。
 東京は、ことしも社会の陽の当たりにくい人々への暖かい眼差しを感じさせてくれる社説を展開した。紹介されている「子ども食堂」は本来、行政が行うべきことであるが、民間人の私費を投じた犠牲的な好意で成り立っている。「子ども食堂」がもっとできるといいと、東京都知事が語ったことを思うたびにこうした思い違いをしている為政者がいる限り「子ども食堂」はなくすことはできないだろう。「子ども食堂」が心の受け皿になっていることをもっと知る機会があるといい。
 
 読売の指摘する「家計が保有する現・預金は986兆円」をなぜ使わないのか。相手に対する不寛容さと分断、公私混同、不都合な資料をなかったことにする手法の頻発、多数にかまけた強権政治に対する政治への不信感から、国民の多くが将来への不安感を持っているからこそである。今の日本国民の多くは国家を信頼できないでいるのではないか。信頼できる政治がない限り現状は変えようがないだろう。
 『失業率は2%台で主要国の最低水準。治安は良い。健康、医療、衛生面の施策も整う』としているが、雇用が増えたのは、世界的な好況と円安に支えられただけで、全体の比率でいえば、第二次安倍政権下(2013年1月〜2019年1月)で増えた雇用のうち、約7割が非正規雇用であり、多くの人が「仕事をしても長時間・低賃金・社会保障なし」という労働状況に晒されている。
 さらに付記しておけば、「賃上げ率はこの20年間で最高水準」と言われるが、これは名目賃金であり、物価の変動の影響を差し引いた、生活実感に近い実質賃金の賃上げ率だと、民主党政権時代の平均賃上げ率は2.59%であるのに対し、第二次安倍政権での平均賃上げ率はわずか1.1%にしかならず、「景気は回復している」などと言っても現政権下の実質賃金の賃上げ率は、今世紀で最低水準であることを見逃すわけにいかない。
  
 また「社会の深刻な分断はない」は、自らの失策を指摘されると未だに「民主党では…」などと懲りずに語り、演説中に「こんな人に負けるわけに…」のどこが「分断はない」なのか。また国会演説で「野党は恥を知りなさい」など知性を感じさせない演説は、国家のために与野党関係なく国民のための政治をしようと考えようとする気持ちのない、論外の分断的発想ではないか。
 読売の論は3604文字にもおよぶ余りにも冗長の総花的で『国民各層が知恵を出し合い、政治が適切な政策を実行すれば、次の時代もきっと、問題解決の道を歩んでいけるはずだ』などとしているが、余りにも楽観的な結びに思える。
 
 昨今の政治問題の多くは、週刊誌によるスクープによるところが多い。「桜を観る会」は共産党の緻密な調査によるところが大きい。新聞各社は、政治、社会の不正やマスコミでなければ知り得ない問題を掘り起こし、国民に働きかけてほしい。政権関係者へのインタビューで、政治家に恫喝まがいの発言に忽ちにして萎縮して質問を断念している記者の姿を見ていると、情けなさを見せつけられるだけである。
 「桜を観る会」が問題視されていくらも経たないときに、内閣記者会加盟報道各社のキャップと首相が中国料理店で懇談したと報道されている。密閉空間でなぜ懇談・取材しなければならないのか。マスコミがなすべき政権を監視することができるかの疑念を持たれかねない。毎日新聞だけが不参加と伝えられている。(下注参照)
 TVの情報番組は、独自の取材を殆どすることなく、新聞各社の取材内容を垂れ流し、進行役もコメンテーターの殆どが「政権に迎合」した発言を繰り返し、昨今は芸能人をも取り込んで、政権に諂っている姿を見せつけられている。不都合な事実を平然と隠蔽している政権に迎合していては、一億総大政翼賛会シンパ と思われても仕方あるまい。

 新聞各社はマスコミの矜持を見せてほしい。
 

(注)
 毎日新聞高塚政治部長によると、「懇談会の開催は2日前に記者クラブに連絡があり、懇談会は完全オフレコが条件。懇談会での説明で少しでもメディアの追及が弱まればとの狙いがあったと思い、我々は説明を求めている立場なので出席することはできないと判断した。」 (2020.1.4追記)
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