日々の抄

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 8月の終わりに思う

2020年8月31日(月)


8月は戦火に散ったひとへの鎮魂の月

 ことしも、終戦記念日、広島、長崎の原爆記念日を中心にドキュメンタリーなどを沢山見た。何度も重ねて見たものもあるが、戦後75年を迎え、直接戦火をくぐり、語りたくない経験をしたひとが少なくなったいま、貴重な経験をいかに伝えていくかを考えさせられるものが多かった。閲覧したものは以下のようなものであった。(掲載順は放映された時間系列による)

「あゝひめゆりの塔」
「お父さんと私の”シベリア抑留”「凍りの掌」が描く戦争」
 (木村多江の表現力は秀逸。シベリア抑留の過酷さは想像を絶する)
「あとかたの町から12歳の少女が見た戦争」
BSスペシャル”悪魔の兵器”はこうして誕生した〜原爆 科学者たちの心の闇
BSスペシャル「隠された”戦争協力” 朝鮮戦争と日本人」
終戦75年スペシャル 女性たちの8・15
明子のピアノ 被爆したピアノが奏でる和音
ドラマ 太陽の子
 (日本で原爆開発が成功しなかったことは幸いであること実感)
NHKスペシャル 「忘れられた戦後補償」
BS1スペシャル 「果てなき殲滅戦〜日本本土上陸作戦に迫る」
NHKスペシャル 「アウシュビッツ 死者たちの告白」
BS1スペシャル 「原子の力を解放せよ〜戦争に翻弄された核物理学者たち〜」
NNNドキュメント「戦火に消えたアスリート」
巨大戦艦 大和〜乗務員たちの見つめた生と死〜
 (276名の生存者の証言。連合艦隊出撃の情報が事前に米国に判読されていたことが敗戦の大きな原因だったことを証言。大本営の奢りが敗戦である)
BS1スペシャル 「少年たちの連合艦隊〜”幸運艦”雪風の戦争」
 (15才未満の少年が経験した駆逐艦での戦場体験。駆逐艦「雪風」は参戦から終戦後の外地抑留者の本土への移送まで、「大和」「武蔵」の最後を目撃しながらいちども攻撃による被害を受けることがなかった)
戦争動画集〜75年のショートストーリー〜
 (長澤まさみの被爆の悲惨さを伝える演技は秀逸。敬意を表したい)

 これらの中で、特に印象に残ったものは「終戦75年スペシャル 女性たちの8・15」の中の、綾瀬はるかによる長崎原爆の被爆者のドキュメントであった。
 長崎で、被爆直後に一枚の不思議な写真が残されていた。一人の女性の足下に黒焦げになっていた自分の母親を背にして、遠くを眺めている少女のモノクロ写真であった。女性の名は龍智江子さん(当時15才)。視線の先には、彼女の父親が防空壕から骨折したひとりの少女(当時7才)を救出している姿であった。

 被爆中心地からわずか300メートル、4000度の灼熱で被爆しながら、この少女は骨折と火傷を負いながらも、生還し被爆から長い月日を超えて二人は再会することができた。彼女は「奇跡の命」と呼ばれた。長崎市に作られた防空壕が低い岡深く掘られた横穴に作られていた。被爆少女は被爆直後爆風で奥深く飛ばされて、奇跡的に生還できたのであった。龍さんの父親の救出は生還の必要条件であったことはいうまでもない。

 その後の少女の消息を案じていた龍さんが、綾瀬はるかを介して再会を果した。少女は被爆後、心の傷を負いながら、被爆したことを非難する差別を受け続けていたため、自らの被爆について他に語ることはなかった。少女に何の落ち度、責任があるというのか。戦争を翼賛していた国民が、被爆者に冷たい目を浴びせ続け差別するとはなんということなのか。
 現代においても、コロナウイルスに罹患したひとに対する差別、攻撃は何ら変わらないではないか。日本人にこの程度の人間がいることは、75年経過しても何ら変わっていない。自らの努力不足、落ち度のないものに対する差別が平然と行われていることは、子どもたちの陰湿ないじめに通じるものがある。恥ずかしい限りではないか。一方的な独善的な狭小の価値観を押しつけることの過ちに未だ気づかないでいる愚かさが残っているだろう。
 龍さんがことしの終戦の日に90才で永眠したことが報道された。また貴重な被爆の証言者を失った。

 ことしも広島、長崎の原爆の日での首相挨拶はコピペで作られたと思しき作文調であり心のこもったものでなかった。黒い雨の未認定の被爆者の広島地裁での判決が原告勝訴でありながら、国は控訴するという。原告の最高齢は96歳。健康上の障害を得、余命幾ばくもない原告に対し、控訴して何の益があるのだろうか。年収数千万も得ている国会議員、国(現政権)の非情さは信じられない。政治は国民に冷酷である。

 8月は戦火に散ったひとへの鎮魂の月。毎年、この時季に新たな証言を収集、記録を残すことはますます困難になるだろう。だが、戦争を経験していない政治家が勇ましい抗戦論を語っていることは看過しがたい。自衛隊を海外派兵したければ、政治家は進んで参加すべきである。こうした記録作成を続けてほしい。
 広島、長崎の原爆投下を正当と考えていることに疑問を持つ米国の若者が少しづつ増えているという。武器を持たぬ都民を一晩で10万人を超えて灼熱で殺戮し、無抵抗な国民を原爆の実験台にしたことは永久に許しがたい。真珠湾攻撃の標的は軍事基地であり、無抵抗な被爆地の国民を標的にすることは大量虐殺にほかならない。正当化することは認めがたい。

 ひとがひとを殺める愚かな行為を否定することがすべての民族、国民にとって Selfevidenceであることが成り立たない限り、この世に平和がやってくることはない。宗教によって殺人が正当化されるなら、宗教など存在価値を認めがたい。この世で最も不幸なことは、すべてを律する道徳規範、宗教が存在しないことだ。

 ことしも8月の終わりに、戦火に散った多くのひとびとへの鎮魂と遺族へ思いをはせる時間を持つことができた。

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