日々の抄

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 国葬でもないのに

2020年10月16日(金)

 「故中曽根康弘内閣・自由民主党合同葬」が10月17日に行われるという。経費の半分の約1億円はコロナ対策予備費から出されるという。コロナによる生活苦で喘ぎ、約6万人もの失業者が出ている現実からすると、とんでもない出費ではないか。途方もない選挙資金を拠出できる関係議員が拠出すればいいのではないか。今のコロナ不況の国民からあまりに乖離した出費である。

 驚いたことに、10月13日付で、文部科学省が全国の国立大などに、弔旗の掲揚や黙とうをして弔意を表明するよう求める通知を出したという。
 それによると、「各府省は当日、弔旗を掲揚するとともに、葬儀中の午後2時10分に黙とうすること、同様の方法で哀悼の意を表するよう各公署に協力を要望することが閣議了解され、加藤官房長官名で萩生田文部科学大臣あてに関係機関などへの協力の要望について文書で通知。
 これを受け文部科学省が、この文書を添付したうえで、各国立大学などに合同葬当日の弔意表明について、「この趣旨に沿ってよろしくお取り計らいください」と記した通知を出していたことがわかった。
 また、文科省は藤原事務次官が13日、国立大や文科省の機関、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などの各トップに「この趣旨に沿ってよろしくお取り計らいください」とする文書を送ったという。
 合わせて、全国の都道府県の教育委員会にも同じ文書を添付したうえで、「市区町村教育委員会に対し参考周知をお願いします」と記載した文書を送ったという。
 いずれの文書にも、明治天皇の葬儀で使われた弔旗の揚げ方を図で示した「閣令」や、黙祷時刻が午後2時10分であることを知らせる文書が添えられており、時代錯誤を感じないわけにいかない。

 文部科学省によると、2006年の橋本龍太郎元総理大臣の合同葬の際には同様の対応がとられた一方、翌年の宮沢喜一元総理大臣のときは文書の対象を国の機関にかぎり、教育委員会は対象となっていなかったという。

  国葬でもないのに、国立大、また市区町村教育委員会にも周知させるということは、全国で弔慰を示せとうことなのか。首相経験者といえ、一個人の葬儀に弔旗を揚げ、定刻に黙祷をせよ、などとは偶像崇拝に値する行為を権力で強要するということではないか。まさに、戦前にあった功績のある軍人を敬う行為を強要させようとすることを彷彿とさせており、政府はとんでもない思い違いをしているように思える。

 黙祷がどのようなものなのか考えてのことなのか。正に、個人の信条を強要する権力の横暴である。個人に対して哀悼の意を表すことは、個人がそう思うならすればいいことで、政府が「黙祷せよ」などとは片腹痛い。国立大だから弔旗を揚げよとは、予算をもらっているのだから政府の言うことを聞くのは当然とはあまりにも横暴で許しがたい。予算は政治家の個人財産でなく国民のものであることは言うまでもない。思い違いをしているのではないか。

 加藤官房長官の15日午前の会見で、内閣・自民党合同葬儀について、
「葬儀は、ご功績などを勘案して閣議決定により執り行うことにした。弔意表明は2日の閣議で、各府省において弔旗掲揚、黙祷により弔意を表明するとともに、官公庁に対し協力を要望することとし、私から文部科学相を含む各閣僚に各府省府、関係者への周知を依頼する通知を発出。これを踏まえ、文科省が各国立大学法人など関係機関、および各都道府県教育委員会に10月13日付で通知を発出した。弔意表明することを要望したものであり、弔意表明を行うかどうかは関係機関において自主的に判断されることになるものだ」
 「2006年の橋本龍太郎元首相、04年の鈴木善幸元首相、00年の小渕恵三元首相の合同葬で、今回の国立大学法人等への通知と同様の通知を発出している」。だが、前回07年の宮沢喜一元首相の合同葬では同様の通知がないのに、今回通知したことについて、「それぞれの葬儀を実施するにあたっては、さまざまな方とご相談をしながら進めていくという諸般の事情を踏まえてということになり、一つ一つそうした状況の中で判断してきているということだ」としている。諸般の都合とは何か。説明になってない。

 教育基本法第14条の「法律に定める学校は特定の政党の支持、反対の政治活動をしてはならない」と定めているが、今回は自民党との合同葬でもあり、法律の趣旨に照らせば通知は違法ではないか」に対し、「今回の通知は閣議了解を踏まえ、一国の元首相の逝去に際し、公の機関として広く哀悼の意を表するよう協力を求めるもので、強制を伴うものではない。特定の政党を支持するための政治活動には当たらず、教育の中立を侵すとも考えていないと承知している」 とし、閣議決定すればなんでもあり、と思える発言で権力を傘に来ているとしか聞こえない。


 前例を打ち破る改革を標榜する現政権は、従前に倣って元首相を国家規模で弔うようなことは打ち破ってほしい。未だ国際問題化している慰安婦問題で、自らの回想記『終りなき海軍』のなかで、当時、設営部隊の主計長として赴任したインドネシアで〈苦心して、慰安所をつくってやった〉ことを自慢話として書いている。
 また、「日本は米国の不沈空母」と言い放ち、さらに、日本に原子力を導入した当事者だったことなどを鑑みれば、到底敬意を持って哀悼の意を表する気にはなれない。

 自民党政権は、国旗国歌法の成立時、当時の小渕恵三首相が「強制するものではない」と述べておきながら、従わなかった教職員をその後多数処分してきたことを忘れるわけにいかない。各方面への通知が「要望」であることを強調し、 「関係機関において自主的に判断」を求めているとしつつも、国立大の学長人事まで口を挟もうとし、かつて「募っているが募集していない」などという詭弁を発した後継内閣である現政権のこと、合同葬をどのように取り組んだかを調査することがないか注目していかなければなるまい。

 合同葬は17日土曜日である。わざわざ関係者が休日出勤していたかどうかを、国家への忠誠心の踏み絵にしないはならない。

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