日々の抄

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 オリンピック開催近いのか

2021年6月20日(日)
 東京オリンピック開催まで僅かになってきた。新型コロナ蔓延、パンデミックの状態が世界的レベルの中、開催の是非が論じられ、国民の約8割(5月14日朝日)が開催中止ないし延期を望んでいるにも関わらず、開催を間近に控えた現在、首相がG7サミットで「全ての首脳から強い支持をいただいた。安全安心な大会を開催する決意を新たにした」 としたことから、開催の是非から観客の有無に論点が移っている。G7サミットで、出席者から「東京では人出が増えており、感染再拡大に最大限の警戒が必要だ」との注文も付き、また、支持表明をしたのはすべての首脳でなく、ドイツのメルケル首相からの「意思表示はなかった」が正しい伝え方ではないか。

  「俺は勝負したんだ」とワクチン接種で陣頭指揮を執ってきた首相は最近、側近議員らに繰り返しそう語っているそうだが、勝負には何かをかけるものだ。負けたときには当然「首相の座」ないし、議員資格がかけられて然るべきだろう。

  最新の世論調査(6月20日毎日新聞)によると、
政府が国内の観客を入れて開催する検討をしていることについて「妥当だ」 は22%。 「国内の観客も入れずに11」、 「無観客で開催すべきだ」は31%に上っている。5月22日の前回調査で「無観客で開催すべきだ」は13%、「中止すべきだ」は30%で前回(40%)より10ポイント減少し、「再び延期すべきだ」は12%で前回(23%)より11ポイント下がった。
「中止」と「再延期」を合わせて4割超となった。「わからない」は5%(前回3%)だった。


  そもそも2020東京オリンピック招致は、「福島原発はアンダーコントロールだ」という多くの国民が疑いをもった安倍前首相のアピールから始まった。そのキャッチフレーズは滑稽なほど変節している。当初は、「復興五輪」、「人類が新型コロナに打ち勝った証しのオリンピック」、「コロナを世界が団結して乗り越えることができたことを日本から発信したい」「世界の団結の象徴」などと都合にいいように変遷してきた。

  また、4月段階で五輪選手向けのワクチン優先接種について、「現時点で全く検討していないし、これから先も具体的な検討を行う予定はない」「私たちはワクチンを前提としない大会という準備をしている」と公言していた丸川珠代五輪担当相は、米ファイザー社から既に選手団向けの2万人分と合わせ4万人分の提供を受けたると喜々として発表していた。その丸川五輪担当相は「コロナ禍で分断された人々の間に絆を取り戻す大きな意義がある」などと語っているが、平然と前言を翻す人物の語る「意義」に重みを微塵も感じることはできまい。

  主会場となる東京都の新型コロナ罹患者数が少なからぬ下げ止まりの状況に合わせてつぎつぎに現れる感染性の強い変異種が現れる中、東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長は、「アスリートの皆さんが海を渡って、東京に向かう足音が次々と聞こえてくるような気がいたします」との言葉に失笑。戦時下の「軍靴の音が云々」を連想した人は少なからずいたのではないか。

  海外からの来日者に、 国管理は原則「14日間隔離」をするそうだが、入国希望者に提出を義務づける活動計画書は「特別な理由」があれば「隔離0日」に短縮可能で、その申請書が特別な理由の書き方まで大会組織委員会が丁寧に例示して、すでに、英ロイターと中国の新華社が申請したと伝えられている。このような「ザル」で水を掬うやり方に、新型コロナの罹患に心をすり減らしている多くの国民に対する背信行為ではないか。


  多数の死者を出し、国民生活を疲弊させている新型コロナが制圧されてない現実の中、なぜオリンピックを開催しなければならないかへの首相の国会での答弁などで、「不安や懸念の声がるとは承知している。安全安心の大会に向けて取り組みを進めている」、「五輪はまさに平和の祭典だ。一流のアスリートが東京に集まり、スポーツの力を世界に発信をしていく」とし、「何が安心安全か」に対して、話をはぐらかして正面から答えようとせず、自分が経験したという前回の東京オリンピックの「東洋の魔女、アベベの力走」などの思い出話をとうとうと語っていた。そうした姿を見ると、首相は国民の不安に向き合おうとせず、何が何でもオリンピックを開催することにしている執念を感じるが、それが何によるか。
  それは、自分の保身にしか思えない。人の話を聞かず、答えず、自分の考えだけを語り、多くの国民の犠牲など考える余裕なく、ただ只管突き進んでいるようだ。

首相は、「オリンピックの開催の可否は自分の権限ではない」というが、昨年、前首相の進言で一年延期にできたことを考えれば、主催する国の首相が、「母屋を貸して軒を取られる」として指を咥えていのか。一体全体、東京オリンピック開催が原因で選手、ボランティア、関係者、宿泊施設の従業員らからコロナ感染者が出て、万が一にも死者が出たり、市中感染が爆発的に増加した場合、誰が補償をするのか。
責任は当然、首相、政権にあることは自明である。


  オリンピックを開催しても「集まるな」「声高に騒ぐな」、「選手は隔離し交流するな」などという寂しいオリンピックを開催することに意義を感じることはできない。「蜜」になるなと言いながら多数が集まるパブリックビューイングを計画するなど気が知れない。
  どうしても開催するなら、無観客は当然だろう。だが、観客動員に組織委は5月末、東京都や関係自治体、東日本大震災被災3県の学校連携観戦チケット担当者に向けて児童生徒の動員を要請した。

  要請文書には「観客上限等が定まらない中ではございますが、手続き上の理由から観戦ができなくなるということがないよう、今後、団体入場証(来場グループごとのグループチケット)を発券するために必要な手続きに入らせていただきたいと存じます。自治体様におかれましては、キャンセルの有無も含め、6月23日までに最終的なご参加人数をご検討いただきますようお願い申し上げます。……キャンセルの有無も含め、6月23日までに最終的なご参加人数をご検討いただきますようお願い申し上げます」とある。

  その結果、埼玉県や神奈川県、千葉県などからはキャンセルが相次ぎ、埼玉県さいたま市では中学校2・3年生などにサッカーやバスケットボールの観戦チケット約2万3000枚が割り当てられていたが、これをすべて辞退(朝日新聞11日)。NHKの16日の報道では、埼玉・神奈川・千葉の3県で合計48の自治体がキャンセルする意向を示しているという。

  だが、驚くことに東京都は自治体・学校に対してキャンセルするか否かの意向確認をおこなわず、このキャンセル受付の文書自体、区市町村に通知さえしていないという。
これは、新型コロナ蔓延の中、児童生徒を戦場に送り込む、「学徒動員」そのものではないか。担当者は自分の子どもをそうした動員に送り込むことができるのか。何が何でも、賑やかにやっている見せかけのための工作を企て、酷暑の中、コロナ蔓延の中、子どもたちの健康、生命を軽んじているなら許しがたい小役人の仕儀としか考えられない。

  すべてに先んじるのは、命を重んじての安心安全である。それが正面から語れない政府のもとでのオリンピックは歓迎できない。

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