日々の抄

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 鎮魂の8月の終わりに その2

2023年8月30日(火)

█ 多くの戦時の記録を見て思うこと
(1) 戦争ははじめるのは簡単でも、国が再起不能に近い状態にならないとやめられないということである。戦争をやめると叫ぶより、勇ましい声が優位になるということである。戦時に至る前に、そうなりそうな社会情勢になってきたら、「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡辺白泉)ときはすでに遅い。
 今の日本はどうだろう。「防衛費の膨大な増額、殺傷能力のある武器輸出を可能にする」など、国会での論議でなく、閣議決定で知らぬ間に決まるのはおかしい。現政権のやっていることは正に「廊下の奥に恐ろしいものを立たせている」気がする。現在の日本は正に「新たな戦前」の状態に思えてならない。

(2) 国(政府)は国民を欺くものと思っているべし。大本営は戦局が悪化するにしたがって、どれほど国民を欺いてきたか。また、そうした人物が戦後平然と社会生活を送っていたことは信じられない。ミッドウエイ戦で米軍の情報能力を軍部が軽んじていた結果、通信傍受をやすやすと許し、敗戦の引き金になっていた。
 日本人的発想の、「お上は嘘を言わない」ということを信じていた国民を悉く戦時中は踏みにじっていた。初めての玉砕をしたアッツ島での「全員玉砕」は軍が勝ち目なしと判断。敗残兵に補給の要なしと考え、後方支援をなんらしなかったことの結果であり、玉砕でなく棄民であり、戦意高揚に利用した闘うことの「美化」と国民を欺いた。
 同様に全く勝ち目のなく物資の補給なしで3万の命を失ったインパール作戦も戦況の実態が判明したのは後のことで、司令官は無事に帰国している無責任ぶりだった。ゼロ戦・特攻隊も、兵は単なる駒であり、人間扱いはなかった。それが狂気と言える戦争なのだろう。 また、ソ連軍侵攻により、満州開拓民を放棄して「撤退」した関東軍は、自国民を最後までなぜ護ろうとしなかったのか。「撤退などしてない、移転しただけ」などと言うのだろうか。
 戦後にも、沖縄返還で当時の佐藤栄作首相は米国と沖縄に核配置を認めるという裏取引をし、後にノーベル平和賞を貰ったという国民に対する背信行為をしている。

(3) 多くの戦時下の記録が78年経過して初めて明らかになったことも少なくない。そうした資料を発掘することは並大抵の努力ではできないことだろう。それとともに、軍にとって不都合な資料を関係者が命令に背いてまで残していてくれた結果でもあろう。関係者の遺族も助力していることが分かる。

(4)「731部隊(関東軍防疫給水部本部)は生物兵器など扱ってなかった」、「南京大虐殺はなかった」「慰安婦はみな娼婦だったのだから問題ない」などと声高に史料に反した歴史修正的発言を続けている政治家がいる。そこにある史料は、自ら経験したことを記したものである。史実に基づかない主張は政治家、特に閣僚はそうした発言を避けるべきである。否。閣僚の資格を持たない。
 日本国内で、近年為政者に都合の悪いと思われる公文書の不法廃棄、(森友、加計問題、桜を観る会での収支書類のうやむや)などが平然となされてきた。公文書のみならず当時の心ある担当者が関係書類を残し後世その実が明らかになることは、国民にとって得がたい歴史的財産である。公文書廃棄は国家の歴史を消去することであり、重大な国民に対する裏切りである。
 公文書を平然と廃棄するような国に明るい未来はない。今求められていることは、史料に基づいた温故知新である。

 今も戦時下で敵を殺めなければならなかったことを悔い苦しんでいる人々がいる。また残された遺族がいる。専守防衛は否定できないが、「敵が我が国を攻撃すると判断できたら攻撃できる」などとすれば、敵と見立てた国が我が国を攻撃する口実を作っているに過ぎない愚かなことは行うべきではない。
我が国は太平洋戦争で受けた被害だけでなく、加害についても、あったことに目を背けない史実を明らかにし記録しておかなければならない。戦争を経験してきた人の証言の収集は一日も早くなすべきである。極東裁判で戦犯としての裁きはあったが、日本国内で戦争責任に対する裁きはなかった。このことを明らかにし公的に裁かれることがなければいつまでも戦後はやってくることはないだろう。

 今できることは、文化交流を進め、最大限の話し合いによる平和外交を繰り広げることではないか。
 
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