8月の終わりに |
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2025年8月31日(日) ことしも戦争記録を、数多くTVの映像などを視聴した。ことしは戦後80年としての記録が多かった。 一日本人としてあれほどの犠牲を強いられた太平洋戦争が何故始められたのか、なぜ敗戦が明白だったにも関わらず原爆投下、市街地への空爆など大きな犠牲の前に敗戦を認めなかったのか。戦争死約300万人。特攻死約4000人。8月は毎年自分が今あることといかなる関係があるか。今も毎日のように行われている独裁的政治家の武力が行われていることへの怒りと合わせて穏やかでないひと月であった。 以下は視聴した番組の一部である。 ■8/2 ETV特集 火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート ■ 8/3 NNNドキュメント’25「テニアン島玉砕と原爆の島」 ■ 8/3 NHKスペシャル 歴代総理の妻たちが証言 ”権力の目撃者”激動の時代の記録 ■ 8/4 NNNドキュメント「NEVER AGAIN覚悟ヒロシマからの世界へ...」 ■ 8/5 あしたは8月6日じゃけぇね~平和の声が響く部屋 in 広島~ ■ 8/5 ぐんま!トリビア図鑑 「館林の戦争を語るもの」 ■ 8/6 「硫黄島からの手紙」クリント・ウッド監督 ■ 8/6、8/7 はだしのゲン ■ 8/6 NHK スペシャル 広島グラウンドゼロ 爆心地500m 生存者たちの”原爆” ■ 8/6 NHKアカデミア 選 戸高一成 いま、太平洋戦争から学ぶ ■ 8/6 レジェンドドキュメント 海を洗う~果てしなき機雷戦 ■ 8/8 象のはな子 ■ 8/8 戦後80年の映像遺産SP池上彰×加藤浩次の運命の転換点 ■ 8/8 「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」 ■ 8/8 BSスペシャル 原爆裁判 ~被爆者と弁護士たちの戦い~ ■ 8/9 テレメンタリー2025 「シリーズ戦後80年ノー・モア・ナガサキ~被爆80年VOCE~」 ■ 8/9 KTN報道特別番組「伝えたいナガサキ」 ■ もしも君が僕の最期の声を聞いてくれたら ~新証言 女学生極秘部隊と特攻隊の恋~ ■ 8/9 NHKスペシャル 原子雲の下を生き抜いて 長崎・被爆児童の80年 ■ 8/10 こころの時代 選 「はだしのゲン」と父 翻訳者・板東弘美 ■ 8/10 テレメンタリーPlus 「戦後80年ノー・モア・ヒバクシャ~NEVER AGAIN NAGASAKI~」 ■ 8/10 池上彰の戦争を考えるSP2025 ■ 8/10 戦後80年特番 第一部あの日の空へ 特攻隊の声を聞く ■ 8/10 戦争をどう伝えていくか ■ 8/11 「杉原千畝スギハラチウネ」 ■ 8/11 戦後80年 内田也哉子ドキュメンタリーの旅「戦争と対話」 ■ 8/11 昭和の選択 原爆と平和のはざまで ~長崎のカネ 80年目の真実~ ■ 8/11 昭和の選択 原爆と平和のはざまで 〜長崎の鐘80年目の真実〜 ■ 8/12 NHKスペシャル選 新・ドキュメント太平洋戦争1942年大日本帝国の分岐点 ■ 8/13 NHKスペシャル選 新・ドキュメント太平洋戦争1943年国家総力戦の真実 ■ 8/13 8月の声を運ぶ男 ■ 8/14 NHKスペシャル 選 新・ドキュメント太平洋戦争1944絶望の空の下で ■ 8/14 戦後80年特別番組 なぜ君は戦争へ? news23 ■ 8/15 NHKスペシャル選 新・ドキュメント太平洋戦争1945年 終戦 ■ 8/15 金曜ロードショー「火垂るの墓」スタジオジブリ高畑勲監督作 ■ 8/15NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争 最終回 忘れられた悲しみ ■ 8/16 ETV特集 昭和天皇 終戦への道~外相手帖が語るこうくさい情報戦~ ■ 8/16 池上彰のニュースそうだったのか 3時間SP知っておきたい!終戦80年 ■ 8/16 NHK映像ファイル あの人に会いたい アンコール 半藤一利 ■ 8/16 テレメンタリー2025 「シリーズ戦後80年 帰ってきた特攻隊員」 私の手元に1945年3月、東京大空襲の数日前に残務整理でひとり東京目黒に残った父が、先に家族が疎開した群馬県沼田町に送った黄ばんだはがきが残されている。文面には、父の弟が兵役で送られた満洲国の住所が書かれていた。父も間もなく疎開し、家族5人は東京大空襲を免れることができた。だがその5ヶ月後、またの転居先である前橋空襲で焼夷弾の被災をした。もし、疎開する時期の判断が遅れたら、雨が降るように落ちてきた焼夷弾の標的になって家族みな命を落としたかもしれない。もし、自分だけ助かったら、戦災孤児になって飢えながら路頭に迷っていたかもしれない。父の懸命な判断には今も感謝の念は持ち続けている。 1945年8月5日、前橋市の中心から半径2キロの範囲への米国のB29による焼夷弾による空襲で何の罪もない535人もの命が失われた。我が家の疎開先が市の中心から2キロを少し越えていただけの偶然の幸運により、防空壕にいた姉のすぐ後ろに焼夷弾の欠片が落下したが幸いに九死に一生を得た。そうしたことから、戦中の記録映像は我が事である。何かにつけて自分が命を長らえていることに感謝している。戦争で命を失った人々は自らが他界したことを知らずにいるのだ。 ことし新たに分かったこと、再認識したことを列挙してみる。 ➡ 8/8 戦後80年の映像遺産SP池上彰×加藤浩次の運命の転換点 ・原爆ドームがどのように保存されたか。 初めて公開された映像。その存続に賛否両論があった。当時の市長は「原爆ドームは金をかけさせてまで残すべきではないと思っている」(1951年8月6日中国新聞)と語っていた。被爆経験者の1/3がドーム解体を希望していた。だが、被爆し16歳に白血病で亡くなった楮(かじ)山ヒロ子さんの「あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろう。原爆の脅威を伝えるために」、の願いが多くの人々の賛同を得て6年に亘る署名・募金の後に1966年原爆ドームの永久保存が決定され保存作業が開始された。爆風を直接受けたドームは崩壊寸前だった。工事の足場は壁に触れることなく組まれ、壁面にエポキシ樹脂を注入するという驚くべき方法が施された。壁に残る白い線はエポキシ樹脂そのものである。5回の補修工事により現在の姿を見ることができるのであり、その工程が映像で見られるのは人々の努力の結果である。 ・元首相の落涙。 昭和13年田中角栄は召集され中国へ赴きクルップ性肺炎罹患を患い大連から帰還。自らは治癒するも、戦中に二人の妹を失った。「人為的に植え付けられた愛国心は危うい」という。「戦争を知らない世代が政治の中枢になったときはとても危ない」(1984年9月3日 3時のあなた 田中角栄) ・沖縄戦白旗の少女が判明。 当時7歳だった比嘉富子さんは、洞窟に隠れていた視力を失った妻、両手足を失った夫の老夫婦に助けられた。白旗は夫の褌で作られたものだった。自分だけ助かった彼女は、自らだけ助かったことを悔い、沖縄の「命(どぅ)宝」を伝えてくれたおじいちゃんおばあちゃんに感謝している、と語っている。(1987年12月8日 3時のあなた) ・ 戦争中、命を落とさずとも心を病んだ兵士が多数いた。 戦争中精神障害を発症した兵士が千葉県国府台(こうのだい)陸軍病院に収容されていた。戦争神経症と診断された兵士の映像が残されていた。手足の痙攣、歩行困難の失立失歩、激しい痙攣発作などを患った兵士8002人の病床日誌が残されている。 ・ 兵士のPTSD 沖縄戦で3人ひと組の自爆を目的とする護郷隊という名のゲリラ部隊に16歳で命ぜられた。幸いにして途中で作戦は中止となったが戦後PTSDを発症。多数の幻覚に異常行動が起こり、危険を感じた家族に座敷牢に入れられた。国のために働いた人間がなぜこのような仕打ちを受けなければならなかったのかと語る。秘密部隊だった故に戦後保障は受けられてないと96歳の老兵は語る。いずれも戦争犠牲者である。 ・三船敏郎の悔恨。 航空隊の教育隊で7年間特攻兵を送り出していた三船の悔恨。軍での鉄拳制裁を嫌っていた三船が特攻兵を送り出すときに「天の陛下万歳」でなく「お母さん」と言って突っ込めと言った。自分が教育隊にいたからこそ命を長らえることができた。「驕れる軍部に踊らされ偉大なる無駄と罪悪を犯していたということ」の言葉を残してる。(1976年6月23日スター千夜一夜) ➡ 核兵器は世界平和のために必要か ( 8/9 テレメンタリー2025 「シリーズ戦後80年ノー・モア・ナガサキ~被爆80年VOICE~」 ncc長崎文化放送) ニューヨーク・マンハッタンで ・米国人男性の声 MAD(相互確証破壊 Mutually Assured Destruction) = どちらかが核を打てば、互いに滅びるという抑止理論は悲しいもの。本当は協力し合えるはずなのに・・・・ ・ロシア人男性の声 核兵器は自国を守る手段として役立つ面もあるが、誤った手に渡れば長崎のようなことがまた起きるかもしれない・・・核兵器などなくても平和が保たれるのが理想だ。もっと強力なものが現れるまでこの兵器と共に生きていくしかないかもしれない。 ・トランプ米国大統領の声 2025年6月米軍のイラン核施設を空爆について。広島や長崎を例に出したくはないが「戦争を終らせた」ということでは本質的に同じだ。あの一撃が戦争を終らせた。 ・和田征子日本被団協事務局次長の声 核という使えないものをもってどうするのか。それを維持するためにどれだけの金がかかっているか。他にまわしたらどれだけの人が潤うか。核は「必要悪」でなく「絶対悪」だ。 ・田中煕巳 日本被団協代表委員の声 一発で何十万人という殺人ができる道具を持っていることがおかしい。本当に考えください。被爆者たちはずっとそういうことを言ってきた。核兵器は減らすのではなく「なくす」ことだ。人類がそれを考えるときにある。核兵器をなくさなければ人類は消滅する。 ・セス・シェルダンICAN国連担当の声 核兵器を唯一なくす方法は「核抑止力が機能しない」という事実を私たちがもっと学び理解することです。 ・朝長万左男長崎被爆者手帳の会会長の声 地球市民は「対話」と「信頼」が新たに生まれないと「核兵器のない世界」をみることはできないのではないか。 ・英国ケンブリッジ キングスカレッジ・スクールの生徒の声 広島長崎でその瞬間に何が起きたかその攻撃がどれほど壊滅的だったかを知り、今自分たちができることが何かを沢山学んだ。 NewYork Times Squeareで ・米市民(パレスチナ系)の声 平和は好きだ。でもアメリカの皆が平和好きとは限らない。平和を求めるデモもあるが、戦争が必要と考える連中がいる。アメリカは戦争で儲けている。それが現実だ。 ・トルコ人女性の声 世界平和のために必要なものは「共感」だと思う。互いに共感できれば相手の痛みも感じられる。人々が本当の意味での共感できれば多くの問題も解決できるはず。 ➡ NHKスペシャル選 新・ドキュメント太平洋戦争は1942~1945年の記録(8/12) 1941年開戦で国内は湧き上がっていたが、翌1942年からはじまる「大日本帝国」分岐点に至る。アジアで占領地拡大を図っていたが、ミッドウェー海戦で大敗北を喫した軍の、真相を隠しメディアも国民を欺く報道をしていた。アッツ島での敗北も戦果ありと報じた。終(敗)戦の1945年まで軍の国民への欺きにより無為な死をもたらせた。 ➡ 戦争をどう伝えていくか (8/10) ・「(戦況を伝えるために)国民をあおる立場に放送はあった。ラジオのアナウンサーは声高に焚きつけるように語っていた。放送はかなり人の心をつかんでいたと思うだけにもっと別の形があったらよかった」「メディアが自立してゆくには精神・思想・心構えが必要だ。それに欠けていたのがメディア全体に言える反省点だ。権力の下請け機関にならぬよう(市民が)監視することが大事だ」 ・インパール戦(1993年6月放送NHKドキュメント太平洋戦争第4集) 牟田口廉也中将の兵站の不足が案じられていても楽天的な「無謀・史上最悪」と称された作戦が強行された。戦死傷病者6万、戦死者3万人余 の地獄のような戦いだった。後方からの補強のなき戦いで無為に命が奪われたにも関わらず、首謀者の牟田口は無事に帰国し、後日自らの行為が誤ってなかったなどと考えていたと伝えられている。戦死者の遺族に何度頭を垂れても贖罪になるまい。牟田口の参戦を制することのできなかった上司であった河辺正三大将の責任は大である。牟田口が生きながらえたのは、「作戦が妥当だったのか、無謀だったのか、それらを自ら確かめたかった。それができなければ死ねないと考えていた」と語っていたという。3万もの命を奪いながら、兵の命でなく「自分のため」に78歳に病死するまで生きながらえた。兵士の命より自己満足を優先した大罪を犯した極みである。 ➡ NHKニュース(原爆投下への意識調査) 米国民 2025/6/2-9(ピューリサーチセンター 5000人) 正当化 35% 正当化されない 31% 分からない33% 年齢別 正当化 正当化されない 65歳以上 48 % 20 50~64 40 27 30~49 29 34 18~29 27 44 核兵器開発で世界は安全になったか より安全になった 10% より安全でなくなった 69% 2015/8/6 1000人対象 正当化 56% 正当化されない 34% (英国 ユーガブ社調査では) 正当化 46% 正当化されない 29% 2009年 正当化 61% 正当化されない 22% 2005年 正当化 73% 正当化されない 42% ギャラップ調査によると 原爆投下に正当性の変遷は 1945年 → 1990年 → 2005年 85% → 53% → 35% 時を経て原爆投下を正当化する割合が減っている。特に若者の割合が多いことは、多方面から情報を得られるようになったことと大いに関わりがあるだろう。 ことしは特攻の記事が多かったように思う。大本営に属する軍属が「あれは無駄死にさせるだけだ」と語った証言も知った。 また、被爆者の人口が減少する中、いままで経験を語ることのなかった人が、「今でなければ」との思いから、辛い経験を語った報道に心打たれるものがあった。 戦争はある日突然始まるのでなく、前兆やきっかけがある。威勢のよい、「攻められる前に攻めろ。先制攻撃が必要だ」との声が聞こえる。誰かが攻撃しなければ戦争は始まらない。銃には銃。核には核。と勇ましく語れば、それもそうだと早合点する者多数を占めればどうなるか。 直近の参院選でも、「核武装は安上がりだ」などと非現実的な言葉に迎合。「多国籍企業がパンデミックを引き起こしたということもうわさされている」「外国人への生活保護が優遇されている」「75歳以上の中国人が90日滞在ビザを持って日本に来れば、国民健康保険に加入できる可能性が出る」などという荒唐無稽なアジ演説に喝采し、上位当選していることに大いなる杞憂を覚える。これらが事実か否か自分で調べれば誤謬であることは自明である。アジ演説の内容の正当性を自分の思考チェックなく受け入れていることこそ、かつて戦争に一直線だった時期の危険なものに通じるものに感じる。既成政党に対する絶望感、閉塞感などという怪しい言葉に乗せられ、世の中を怪しい方向へ導く片棒を担ぐ愚かさに目覚めることが急務である。その基本は目の前にある言葉への「疑う心」ではないか。 ことしは(敗)戦後80年。 「放射能という力が後々まで及ぶということを世界の人たちと共有しなければならない節目の年だ(佐々木雅弘84歳)」( NNNドキュメント「NEVER AGAIN覚悟ヒロシマからの世界へ...」より)という非核への願いの言葉が重い。 愚かしいアジ演説を信じていると、「戦争が廊下の奥にたってゐた」(白泉)に導かれることになるのだ。 |
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