日々の抄

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  パラリンピックが終わったが

2006年03月21日(火)

トリノ冬季パラリンピックが閉幕した。史上最多の39カ国が参加し、477選手が4競技で58の金メダルを争った中で、日本はメダル9個を獲得。銅メダル3個だった前回02年のソルトレーク大会を大きく上回り、金2、銀5、銅2の計9個のメダルだった。海外で開かれた冬季大会では、94年リレハンメル大会の6個を超え史上最多となった。

荒川選手が唯一の金メダルを獲得して閉幕したトリノオリンピックと比べると、パラリンピックには際だった違いがある。1つ目は成績。2つ目は選手の活躍を知るための報道。

身体のハンディを克服し、極限まで鍛えた結果としてのメダルを獲得するための努力は並大抵なことではなかったと思う。バイアスロンで、的を見ることなく、音を頼りに限りなく正確に射撃できることは驚異的な技だ。メダルを獲得してもしなくても参加した選手の健闘を称えたい。そうした選手の活躍を知ろうと思っても、TVなどでのリアルタイムの報道は皆無だったのではないか。健常者オリンピックの異常までのお祭り騒ぎと、はしゃぎすぎに比べ、パラリンピックの報道のされ方は明らかに差別的である。身体にハンディがある人達のオリンピックだからこそ、その努力を知りたいし報道すべきである。マスコミ、特にTV関係に携わる人びとは東横インホテルの違法建築を暴いて、ハンディのある人に対する差別はけしからん、ハートビルの精神を蔑ろにしていると糾弾していたのではないか。

 きょうの複数の報道番組では、「パラリンピックの報道が少ない、もっと報道してほしいものです」などと、局のキャスターが評論家のように語っているのを聞いていると、かなりの違和感を覚える。誰かが報道してくれればいいのにと、まるで他人事ではないか。評論家になるのは簡単だ。

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