日々の抄

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  輸入の再再開ですか

2006年06月26日(月)

 BSE原因物質がたまりやすい背骨の混入発覚を理由に、米国産牛肉の輸入を1月20日から停止していたが、早ければ7月下旬に半年ぶりに再開される見通しとなったという。局長級のテレビ電話協議で、「米国の牛肉処理施設を日本側が事前調査して安全性を確認すること」などが条件だというが、はたして安心できるのか疑問である。

 農林水産省と厚生労働省が6月20日公表した米国政府からの回答書によると『問題の牛肉を輸出した2施設は「特異的な例」という従来の主張を強調。検査態勢に問題があるとの見方を改めて否定』『検査官が見逃した理由を、2施設への輸出施設の認可が遅く、日本向けの輸出条件が十分に伝わっていなかった』『一つの不適当な製品の検出が米国の牛肉加工、検査、輸出システム全体の脆弱さを示すものではない』としている。

 3月17日、米国シーファー駐日大使によると『背骨付き牛肉が日本に輸出された理由について、「日米のガイドラインを知らずに骨付き肉を注文した客も悪かった」と指摘。背骨を見逃した米政府の検査官や処理施設だけではなく、日本の輸入業者側にも問題があった』との見方を示している。これを見ると米国はBSE問題に関して自国の利益を優先している自己主張のみで、消費者に対して、「このように安心できる態勢ができたから大丈夫」とするどころか、日本の輸入業者にも問題があったなどとして、「日本はごちゃごちゃ言わずに買えばいいだよ」と言わんばかりである。米国政府の不遜な態度に対し、生産者である米国の牛肉加工会社が3月23日、米農務省を相手取って、自主的な牛の全頭検査を容認することを求める訴訟を起こしているのは心強いことだし、これぞ日本の消費者の望むところである。これに対して米政府は全頭検査について「科学的根拠が薄い」としているが、消費者としてはたとえ1頭といえど例外があってはならないと思うだけである。生後何ヶ月か不明な牛を放牧している実態から考えれば、なぜ「科学的根拠が薄い」などといえるのか気が知れない。

 「これだけ時間をかけ、問題点、疑問点を洗いざらい、互いの意見をぶつけ合って協議し、全国各地でも国民の声を聴きながら、ようやく合意が出来て良かった」と首相は言うが、時間をかければ解決する問題ではない。「日本側が事前調査して安全性を確認する」などということで日本国民はすぐに米国産牛肉を口にするほど甘くはない。7〜8割程度の国民が米国産牛肉を「食べない」と決心している。それは、『このような牛の管理がなされ、このような検査をし、日本国内と同じレベルの安全対策がなされる』という具体的な、誰が聞いても分かるような説明がなされてないからだ。今回の輸入再開するにあたって国民に対する説明が、安全だといわれて開始された米国産牛の輸入が、米国の「BSE原因物質がたまりやすい背骨の混入」という、食に対する致命的な不信感を到底払拭しているとは思えない。

 中川農水相は6月22日の閣議後の記者会見で、米国産牛肉の輸入再開後、BSEの原因物質がたまりやすい背骨などの危険部位が再び混入したとしても、全面的な輸入停止には踏み切らない可能性を示した。これは、前日に米農務省長官が「今後、危険部位などが発見された際は全面禁輸でなく、問題のあった輸出業者の輸出を禁じる限定対応」を主張し、「ささいな違反事項がすべての貿易関係を中断させることはないだろう」としていることへの迎合だろう。日本人の生命に関わるかもしれない違反を「ささいな」と言い切るところに米国政府の日本人を見下した横柄さが見え腹立たしい。農水相が本心で日本人の食の安全を考えているとは思えない。こんな考えを臆面もなく語る国から輸入しないと日本の食は成り立たないのか。他の国、例えばオーストラリアからの輸入を増やすことで対応できないのか。仮に味が今一歩だとしても「安全、安心」の方が優先されるのではないか。危険性への確率と「安心感」は別問題であることに政府はなぜ気づかないのか。

 今回の米国産牛肉再開は拙速で、首相訪米への「お土産」の感を否めない。安易な妥協は米国民から蔑視されるのみ。多くの日本国民が安心できない状態で米国に忠義立てしているかのような輸入再開が、国内でのBSE発病に結びつくことになれば、今回の輸入再開の判断は歴史的汚点と言われるに違いない。

 私は米国牛を食べようとは思わないが、ハンバーグなど加工肉に混入してもわからないから困ったものだ。加工肉は生産地を表示する必要がないということに問題があり、早急に解決すべき問題である。牛肉は7月下旬前までにせっせと食べることにしよう。

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