日々の抄

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  国技が危ない

2006年07月17日(月)

 相撲は古色蒼然とした現代に失われた礼節を重んじていることが不思議な重みを感じさせる国技で、私は栃錦、若乃花、吉葉山、鏡里の時代からのファンを自認している。その大相撲で最近信じがたい、ハッとする場面を目撃している。今場所4日目、白露山−把瑠都戦で白露山の「いなし」を食った把瑠都が負けた後、土俵を去るまで白露山を目をむきだした恐ろしい顔つきで睨みつけていた。ガンをつけているという表現がぴったりだった。いなしを食っただけで睨みつけ、あたかも自分の負けを正当化しようとするような勝負師としてしてはならない態度を目の当たりにして、「この力士は本物ではない」と感じた。正当な技で負けておきながらなんということだろうか。負けたのは自分に非があったと認めない限り強くなれまい。

 以前、朝青龍が無断で帰国したり、親方の教えに従わなかったことを耳にしたことがあった。力士は強ければいいというわけにいくまい、が実感である。日本人が相撲道に求めるのは単に強い弱いだけではない。負けても負けても自分を誇張しすぎるほどに鼓舞している高見盛には好感が持てる。なぜなら全力で勝負に挑み、勝てば顔を上げて、「やったぜ!」と言わんばかり。負ければ頭垂れて、子どもがしくじりをしたときのように帰っていく姿を見ると、「あしたは頑張れよ」と思わずにいられない。多くの力士は、負ければ「自分が弱かった」と思い、相手を非難などしない。

そんな気持ちでテレビ観戦していたら、きのうは考えられない場面を見た。露鵬が千代大海に押し出しで負けた後、露鵬は土俵下で千代大海が「何だオラ」などと言われてにらみ合いになり、切れたという。力士が勝負の後に言い争うなどということは前代未聞である。露鵬には先輩に対する敬意が感じられない。その後、露鵬は館内のガラスを割り、協会幹部に事情を聞かれた後に一斉にたかれてカメラのフラッシュを浴び、記者二人に暴行を加えたという。相撲協会は露鵬に対して出場停止3日を命じている。器物破損、傷害の立派な刑法犯である上に、大相撲の名を汚したことは間違いない事に対して、この程度で済むのだろうか。野球やサッカーの選手が同じことをしたらどうだろうか。

 相撲の技とともに、礼節、相撲の心を親方は教えているのだろうが、露鵬は技を学ぶことがあっても、相撲の心を学んでいない。土俵に立っているということは、一人前の分別のある大人として扱われているはずである。自分にブレーキをかけることができない力士は単なる乱暴者で危険極まりない存在である。

 北の潮理事長が語る「正々堂々とやっているんだから、勝負が終われば相手を敬う気持ちがないと。そのために礼をして別れるんだ」の言葉は重い。それを彼らは理解していないのだろう。ただ、勝てばいいとだけ思っている外人力士が増えれば、ますます相撲人気は下降線を辿るに違いない。

「切れる」人間が増えている中で、力士までが切れやすいのでは悲しい。理事長や親方がいくら謝っても、力士が力士のなんたるかを考えなければ何の問題解決にならない。力士は何故今の世の中に不釣り合いな髷を結っているかよく考えてみなければなるまい。

 スポーツ選手に対して、強いことだけを賞賛する風潮は危険だ。

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