日々の抄

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  PCが壊れた

2006年10月02日(月)

 朝夕少し涼しさを感じ始めた頃の先月のある日突然、我が家のPCがシャットダウンしてしまった。はじめは底部の発熱が気になる程度だったが、動作中に予告なしに画面が真っ黒になってシャットダウンを頻発。このままでは熱でCPUが破損するかもしれないと思い修理に出した。どうも放熱用の送風ファンが動作してないらしい。10日後に「マザーボードを修理した」との記入のある用紙が貼られたPCが帰ってきた。修理を依頼した家電量販店の係員は取り次ぎをするだけで、故障の原因を知りたくても詳しい事情はまったくわからない。底部の発熱が以前より改善したと思ってやれやれと思った2日後、操作中あっという間に画面が真っ暗になってシャットダウンした。今回はかなりの重症だった。前回と違ってまったく起動しない。バッテリーは満充電。ACを接続していても起動せず画面は真っ黒のまま。スイッチを押すとランプが一瞬点灯するだけで対応策なし。再び修理に出した。この間、メールチェックもHPの更新も、画像が上からゆっくり垂れ下がりながら表示されるように遅いセカンドPCを使わざるをえなかった。でも使えるものがあるだけありがたい。

 修理に出してから1週間経過した頃、メーカーから電話があった。「正常に起動しています」とのこと。修理に出したときに量販店の係員の目の前で動作してないことを確認したのだが、何としたことだろう。メーカーの説明では、全く動作しない場合、バッテリーを本体から一度外すと恢復する場合があるという。電源保護回路なるものが働いて起動しなくなることがあるともいう。AC電圧が不安定になると動作する回路だそうだが、戦時中でもあるまいにそんなことがあるのか。AC電圧が不安定になることがあるならそれに対応できる回路を考えるべし。AC電源を外しても反応がなかったのに、そんなことがあるのか疑わしい。

 「最近、家の近くで落雷はなかったか、延長コードを使ってないか、外付けの機器を使ってないか」などと聞く。「うまく直らないときに、ユーザーの使用環境に責任転嫁するつもりなのか」と思えてくる。挙げ句に「どんなソフトを使っているのか」などと問われたが、PCが動作しなくなることと、使用しているソフトとどんな関係があるのか甚だ疑わしい。更に個人情報でも聞き出す、成りすましの電話ではないのかなどと疑いたくなってくる。どこからの電話なのかを問うと、「お客様の大事な情報をお預かりしているのでお知らせできません」とのことだが、意味不明だ。お客様に電話しているのに。場所が分かれば故障したPCのある事務所にサイバーテロでもすると心配しているのか。慇懃無礼な会話に少々苛立ってきていた。起動しないPCを作った会社として、ごめんなさい位のことは言えないのだろうか。

 我が家のPCメーカーのバッテリーは他社の製品にも使用されているが、発火事件が起って全世界的に無料交換するという。ヘタをすると企業の存亡に関わる重大事だろう。もしかして我が家のPC故障もバッテリーが一因なのではないかと思ってしまった。バッテリーが発火するのは、バッテリー内に金属片が混入することが原因と発表されている。航空機の中でPCが発火したこともあると報道されているが、電源を入れたままノートPCを放置して家を留守にした時に発火したら重大事を引き起こしかねない。我が家のPCは発火はしてないから取り敢えず大丈夫そうだが、またいつシャットダウンするかわからない。近々、我が家のPCのバッテリーもリコールがあるらしい。

 民間にいた頃はアナログコンピューターを使っていた。東京オリンピックのあった頃の古い話だが。当然入出力はすべてアナログ量である。入力はデータレコーダー、出力はペンレコーダーだった。プログラミングが大変だった。壁一面に配置された吸音板のような数千もの穴が開けられたパッチボードに、加算、減算、除算、乗算回路とともに積分、微分回路を差し込んで配線する。微分方程式をそのまま配線することになるが、何百本もある配線のたった一本でも違えばうまく動かないのは当然だ。アナログコンピューターがあったから、現在一般に使われているものを、デジタルコンピューターまたはデジコンと称した。その後これらを合体したハイブリッドコンピューターもあった。コンピューターの出力に帯状の8ビットの孔が開けられたテープを利用したこともあった。

 PCとはパーソナルな製品が販売され始めた、今から25年ほど前から付き合っている。当初はNECのPC8801MKUという8ビット機だった。記憶装置にテープレコーダーを使い、ガー、ピーといかにも機械を操作している雰囲気が漂っていた。モニターは緑色の小さな画面だった。長い間これを眺めていると、色覚以上が発生し、同僚のひとりは緑色の黒板がまばたきの度にピンクに見えたという。フロッピーディスクは5インチだったが、職場の大型のコンピューターでは8インチを使っていたが、うまく機械に挿入しないと座屈をおこしそうな代物だった。アプリケーション開発用にはROMベーシックなるものがあったが、記憶できないから簡単なものしか扱えなかった。BASIC88が使えるようになって仕事にいろいろ利用できるようになった。使用できるPC用のワープロソフトも少なく、8ビット用には皆無に近かった。当時は試験問題や会議資料はほとんど手書きだったので、ワープロで書いたものは、出版物のような感じで、使える人は「すごい」と言われた。和文タイプも使用されていたが、文字があの広大な活字群のどこにあるかを探すより手書きの方が遙かに能率的だった。ワープロが便利と分かっていても、ソフトがなければ使えない。そこで自前のワープロを作った。ヘッダー、フッター、レイアウト、文字サイズ、印刷、ビュアーなどはなんとかできたが、一番時間がかかったのは辞書作りだった。当時の文字変換は単漢字変換が基本で「文節変換」ができることも「文節を切る」ことも斬新だった。辞書作りのため、一冊の辞書を片っ端データとして打ち込んだ。名詞は問題ないが、動詞は活用形、形容詞、副詞は次に続く名詞、動詞の処理が面倒だった。大変だったのが罫線だった。テキスト画面とグラフィック画面が別なので文章をスクロールすると表示に時間がかかってイライラさせられたが、なんとか使用に耐えるものになった。だが、今では考えられないほどの遅さだった。

 開発言語はBASICが中心だったが、構造化BASIC、VISUAL BASICになってからはかなり実用的に短時間で開発用に利用できた。他にPASCAL、ASSEMBLY、C、C++などだったがCOBOLは技術用には使えなかったしFORTRANはPC用のソフトがなかった。年齢が進んでくると画面を見ていると眼精疲労がひどくなり、市販されているアプリケーションソフトで間に合わせるようになってきた。自分で開発することは、余計な機能を省けるし、開発言語の学習になり楽しみだったことは確かだった。

 職場では個人がPCを一台ずつ使用できる環境ができつつあるが、便利に使える、省力化できるはずのPCだが、あれもこれもと考えて、簡単に手書きで済むものをいち々PCを使うためか、いっこうに仕事量は減らないし、今までにやらなかった仕事に利用してむしろ仕事が増えている感じである。実用的に一番便利なのは、同じ類の文章を作るときに再利用ができること、文字検索が容易にできること、複数のデータを統合したまとめが作りやすいことなどだろうか。画像処理、音声処理もあるが。

 コンピューターは現代社会と切り離せないものになっている。産業界、医学などの利用は便利さへ直結しているだろうが、パーソナルな利用については考えなければならないこともある。PCは機械でしかできないことだけに絞って使うに限る。便利さの故により大容量、より快速にを求め数年毎に新調するのは考えものだ。最近のワープロなどはほとんど利用もしない機能を付けてはバージョンアップと称して販売しているが、ほとんどの人は体裁よく文字を並べて簡単に印刷できればそれでいいのだ。全機能の半分も使っていないのが実態だろう。最近はデジカメの利用が多くなっているが、デジカメを利用するにはPCも同時に利用しないと便利に使えない仕掛けがあるようだ。画像のレタッチやデータの保管はPCなしにはできない。便利な時代になっているが、うまくのせられている感じがしてならない。今は猫も杓子もインターネットの時代だが、便利さの反面、プライバシーの侵害、姿が見えない形での勝手過ぎる自己主張、コンピューターウィルスの流布などの弊害がこれからも問題になってくるだろう。子どもが幼い時期からPCやゲーム機を使っていることが、「都合が悪ければ電源を切ればいいや」という短絡的な発想、行動につながっていることは間違いなさそうだ。人間社会のほとんどは「アナログ」の関係で成り立っていることを忘れてはなるまい。

 我が家のPCは20日近く入院した後やっと帰還し、今は正常に動いているが、いつまたパッタリ倒れるかわからない不安に駆られておそる々使っている。こんど故障したら新調するか、もうPCを卒業するかどちらかだ。道具は命令したことしかしないし、壊れることもあるということか。性能を信頼しすぎるのは危険だ。人間も同じかな。

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