履修不足は誰か |
---|
2006年10月28日(土) 耐震偽装、株の違法取引、公金の焼却など、あってはならないことが続きすぎているが、教育界でも偽装ないし偽装擬きが発覚している。学習指導要領で定められている必修科目を全国的に高校で履修してないか、履修したことにした偽書類を提出していたことが判明。全国で400校を越え、現高校3年生で該当する生徒数は約8万人という。これらの生徒は高校の卒業条件を満たしていない。現行の教育課程が実施されてから偽装の傾向が顕著になり、既に卒業生したが、卒業条件を満たしてなかった者が多数いる。24日の報道で、事の発端になった高岡南校だけが非難の対象になっていたが、あっというまに全国的な広がりを見せ、社会問題化している。特定の高校だけの問題でなく、受験対策に走りすぎた現実と現行の指導要領の乖離が明らかになってきている。 ひとりの高校生が自分の成績証明書を見て、履修してない科目に成績が付けられていることを訴えたことが事の発端だというが、少なからず疑問に思っていた卒業生はいたようだ。学習指導要領はおよそ10年に一度変更されているが、現行の学習指導要領によると、卒業までに履修を義務づけられている教科・科目は以下の通りである(教科と科目は異なる。例えば教科−理科、科目−物理の関係である)。 (1) 国語のうち「国語表現」及び「国語総合」のうちから1科目 (2) 地理歴史のうち「世界史A」及び「世界史B」のうちから1科目並びに「日本史A」、「日本史B」、「地理A」及び「地理B」のうちから1科目 (3) 公民のうち「現代社会」又は「倫理」・「政治・経済」 (4) 数学のうち「数学基礎」及び「数学」のうちから1科目 (5) 理科のうち「理科基礎」、「理科総合A」、「理科総合B」、「物理」、「化学」、「生物」及び「地学」のうちから2科目(「理科基礎」、「理科総合A」及び「理科総合B」のうちから1科目以上を含むものとする。) (6) 保健体育のうち「体育」及び「保健」 (7) 芸術のうち「音楽」、「美術」、「工芸」及び「書道」のうちから1科目 (8) 外国語のうち「オーラル・コミュニケーション」及び「英語」のうちから1科目(英語以外の外国語を履修する場合は、学校設定科目として設ける1科目とし、その単位数は2単位を下らないものとする。) (9) 家庭のうち「家庭基礎」、「家庭総合」及び「生活技術」のうちから1科目 (10)情報のうち「情報A」、「情報B」及び「情報C」のうちから1科目 大学の推薦入試が始まりつつあるこの時期に、教育現場では現実的な対応に追われている。つまり、現役生は卒業見込みを条件として受験が認められる。また、履修してない科目に評価点が付けられていることが明らかになっているから、調査書の信憑性が疑われている。県によっては、教委が、大学への書類提出が迫っているものは、そのまま(偽物)でもかまわないと判断しているという。取り敢えず提出しておいて必修科目が履修条件を満たしたらその旨書類を差し替えればいいという判断のようだ。 今回発覚した偽装工作は教育現場では周知のことだった。そうでなければこれほど全国的な問題にはならない。なぜこのようなことが起こったか。「ゆとり教育」と称して、土曜が休業日になり週5日制が実施されたことにより、授業時間の確保を迫られたことが大きな要素だったろう。特に受験校と称される高校では受験科目の授業時間を確保するために、受験に関係しない科目を履修したことにして、実際は受験科目の授業をやっている。例えば教科・地歴公民の地理Bのみで受験科目する生徒は世界史を履修するより、地理Bを増加単位にして受験対策として時間を割いた方が結果に結びつきやすいとの判断である。 未履修ないし履修不足(実質的時間不足。日本史の授業なのに半分を世界史にしているなど)の科目は、世界史、政治・経済、倫理情報、などであるが、家庭科、芸術科についても本当に未履修はないのだろうか。また、<総合的な学習の時間>はどうなのか。学習指導要領の総則第1款2によると「・・・・・、各教科に属する科目、特別活動及び<総合的な学習の時間>のそれぞれの特質に応じて適切な指導を行わなければならない」とし、第2款 各教科・科目及び単位数等によると、「・・・卒業までに履修させる・・・・・・各教科に属する科目及びその単位数、特別活動及びそれらの授業時数並びに卒業までに行う<総合的な学習の時間>の授業時数及び単位数に関する事項を定める・・・」として、「<総合的な学習の時間>の授業時数は、卒業までに105〜210単位時間を標準とし、各学校において、学校や生徒の実態に応じて、適切に配当するものとする。」とされている。新聞報道などでこれらは取り上げられてないが、総合学習の時間を履修してないことを含めると、卒業条件を満たさない高校が何倍にもなる可能性は残る。是非明らかにしてほしい。 必修科目の履修漏れの原因をほとんどの高校が「受験のためにやった」と弁明しているが、誤ったこととはいえ「生徒を思ってのこと。進学実績を上げる」ためというのは正直な説明だ。実にみっともない言い訳をしている学校もある。地理で、実際は世界史を教えていた高校では、「特色ある学科で、他の授業で海外の地理や文化を学ぶことは、地理の履修に値する」、履修科目にないのに世界史の授業をしていた高校では、「政治経済の授業の中で世界史を教えた。それでカバーできると思っていた」、情報を体育、数学C、英作文などに読み替えていた高校では、「心身ともに健康な、バランスを取った教育実践を行いたい、との熱意で始めた」などは訳が分からないし往生際が悪すぎる。また、世界史の授業を受けていない生徒がいたことを「知らなかった」とくり返す校長もいる。この校長は入試で大学に提出する調査書に、未履修科目にも実際に履修した科目と同じ評定を付けていたことについても「現場は報告したと話しているが、記憶にない」と話している。高校から出される書類は校長の職印なしには発行できない。責任転嫁も甚だしい。管理職の資格を疑いたくなる。 ある県の高校で履修漏れが発覚した後、いったん県教委に虚偽の報告。翌日全国的な広がりを受けて隠しきれなくなり、「生徒の動揺を考えると、残りの時間で解決できるのであれば、公表せずにやりたかった」と弁明。生徒をダシにした保身ではないか。嘘もバレなければいいという発想の教育者が、生徒の前で人生を語れるのだろうか。 教育委員会が知らなかったとしているところもあるが考えにくい。責任を現場に転嫁しているしているとしか思えない。必履修科目を履修させてない現場に問題があることは言うまでもないことだが、教育委員会は高校に計画訪問または要請訪問と称して、教育現場への「指導」を行っている。世界史を履修してない学校に、「ことしは世界史の研究授業」を要請すれば、履修してないことが判明することは歴然である。必履修科目を見逃している担当教科の指導主事の責任は大きい。「各学校を信頼していたので遺憾だ。生徒や保護者には大変申し訳ない」などとコメントを出すのは、事情を知っていて黙認しているか、それを見抜けなかった自らの非を認めたくないからか。 履修不足の生徒が卒業条件を満たすために、一日6時間履修を前提として2単位(1単位は年35時間としている)だと12日間、3、5単位の場合はその数を掛けた時間が必要である。センター試験まで100日を切った現在、受験生にとっては、受験科目でもない授業にそれほどの時間を割くなどとんでもないことだろう。だが、卒業条件を満たすためには仕方ないことである。ただ、学習指導要領第3款 各教科・科目の履修等によると、「標準単位数が2単位である必履修教科・科目を除き、その単位数の一部を減じることができる」とあるので、若干の軽減はされるだろう。しかし、ある学校では4科目、350時間分の補習を行わないと卒業条件を満たさないというが、いったいどうやったらそんな無茶苦茶な教育課程を作れるのか。信じられない話だ。この場合は通常の方法では物理的に無理だろう。関係者の責任を問わないわけにいかないだろう。 「政府が具体的な負担軽減策の策定に着手した」との報道があるが、これはおかしい。学習指導要領は法的効力があるとして、「国旗国歌」を強制する根拠にしておきながら、「レポートや試験」で履修したことにする、というのは安易である。文科相が言うように、「卒業証書を出すまでに、必ず学習指導要領で決められた授業を受けていただくよう、各都道府県に厳正に通知する」、「3月31日まで教育期間はある。卒業式の日取りを調整するなど、生徒の負担にならないよう現場で責任を持って考えてほしい」というのは当然だろう。受験科目にシフトすることなく履修してきた生徒は、未履修科目分の時間を割いて受験シフトしてきて授業を受けてきた生徒より条件が悪いことになるかもしれない。文科相の「履修漏れの生徒の負担軽減を重視する余り、まじめにやっていた高校生との間に不公平が生じてはいけない」の言葉通り、最良の方法を考え未履修がなくなるような努力をしなければならない。高校生に責任はないが、事態が明らかになっているのに、一部に今のままでは物理的に到底卒業条件を満たすことが困難な学校があるからといって全国一律に超法規的に卒業条件を考えるのはおかしい。首相は、諮問機関である教育再生会議で「教育委員会改革も含め、履修不足問題を議論していく意向」というが、教育再生会議は現実に起こっている未履修対策を語るような会議なのか。未履修問題を政治的に解決することは、学習指導要領を否定することになり、あってはならないことで教育行政が解決するべき問題である。 今回の未履修、偽装報告問題で、教育委員会が性善説にたった書類チェックしかしてないなどとしているが甘いのではないか。受験校では地域、保護者からの要請によって、成果を明らかにするために受験シフトをしている学校が熱心な学校、やる気のある教員という評価があることは明らかだ。高校の授業はその後の進路と無関係にはできない。進学校は大学進学に必要な対策をするのは当然のことだ。大学が学生集めのために受験科目を減らしているなら、その影響は当然高校へも、入学後の大学生の資質にも関係してくるだろう。「高校は入試のためにだけ授業をしているのではない」という考えは正しい。だが、現実的に高校生が沢山の読書をして、人生を考えるなどというのは、校外の模擬試験もほとんどなかったよき時代の話である。現在でもゆとりと能力のある高校生はそれができるだろうが、多くの高校生は受験対策に必死である。高校をゆがんだ形にしたくなかったら、大学の入試制度を再考しなければなるまい。たとえば、すべての大学で専攻に関係なく、多くの知識教養を必要とする「一般教養」のような受験科目を果たせば、未履修などということは考えなくなるだろう。 すでに卒業しているが、必修科目を履修せず卒業条件を満たしてない者に対し、「学校長が取り消さなければ、そのまま」というが、条件を満たしてないことを承知して卒業させた学校長が卒業を取り消すことができるはずがない。だが、学習指導要領に反していることは事実である。卒業は取り消さないまでも、そうした卒業生に対して期限付きで、「レポート」などを果たして卒業条件を満たしていると認定してはどうか。自分は条件を満たさずに卒業しているという気持ちを長い間持ち続けさせるのは教育的ではない。儲けたと思うものはその認定を与えなければいいだけだ。 かつて、担任が推薦入試の成績を偽装して評点を水増ししたことが判明して「有印公文書偽造」の罪で訴えられたと聞いたことがあった。今回は履修してないにも関わらず履修したことにし、同時に偽の評定点も記入していることは立派な「有印公文書偽造」にならないのか案じられる。 今回の事態が来年の1月頃問題化したらどういうことになったのだろうか。今なら大変さはあっても間に合う。未履修、偽書類提出問題が現在の高校のあり方や大学受験制度に対して一石を投じたことになるだろうが、「赤信号みんなで渡れば怖くない」ではすまされまい。これでは高校生が気の毒すぎる。教育関係者の中に本来の教育に対する考え方に履修不足があるのではないか。 「鵠を刻して鶩に類す」を信じている生徒がいるなら裏切りたくはない。 |
<前 目次 次> |