日々の抄

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  一身上の都合ですか

2006年12月25日(月)

  政府税制調査会長がついに辞任した。辞任に追い込まれたといった方が適切な言い方かもしれない。時価40万とも50万円ともいわれる公務員宿舎にたったの7万円余で入居し、それも申請を偽って妻以外の女性と居住していたという。同宿舎には他に居住している人がいるから、居住していることを彼だけ責めるわけにはいかないだろう。だが、増えるばかりの国の借金を減らそうとしているさなか、国の施設設備もスリム化し財政を立て直さなければならない状況から考えれば、時価の1/6程度の家賃で住めるという特権を一部の公務員だけが利用できることに対して、納得いかないのが庶民感覚である。
  ある大臣はそのことに対して、「私は政治に携わってばかりいたから民間人の気持ちが分からない」などと言っているが、この大臣は国民のことを考えていないことを宣言しているようだ。選挙では「国家、国民のために政治生命をかけて努めます」などと立派なことを語っているのに、つい本音がチラリと出てしまったのか。こんな人物は大臣や議員の資格はない。言っていることが問題でなく、考えていることがお話にならないのだ。

 本間氏は公務員宿舎の家賃について、「マーケットプライス(市場価格)と宿舎使用料が随分違う。詰めて議論をしているのか」などと財務省幹部を追及している(6月27日報道)。財務省側が「宿舎使用料は法律的に規定されている」と説明すると、本間氏は「世の中ではそれが通用しないのではないか、といま議論している」と言っているのだから、現行不一致の典型で、自分だけは特権があるということなのか。通用しないのはあんたの考えだよと叫びたい。11日に週刊誌で公務員宿舎入居が報道され、事が発覚して問題視されているが本人も入居を許可した関係者も「ばれなければいい」という昨今はやりのやりかただったのか。
 
首相は18日に「職責を責任を果たしてもらいたい」と述べ、問題の重要性が分かっていなかったようだ。身内から「税負担を国民に求める立場として適性を欠く」との声が上がった為か、本間氏は21日朝、会長職を辞任する意向を首相に伝え、首相も了承した。だが、記者会見で「一身上の都合であると思う」を13回も繰り返していた狼狽ぶりは気の毒なほどだった。最後まで首相を支えていた官房長官は「(辞任は)会長自身の一身上の都合であり首相の任命責任はない」としている。ここで3つの問題がある。
  一つは「一身上の都合」と詭弁を繰り返していること。一身上の都合とは「その人個人に関すること」であり、社会通念上は「病気療養のため、結婚により家事に専念するため、親の面倒を見るため」などの意味に使うのではないか。そんな個人的な都合があるなら、はじめから役職を引き受けるべきではないし任命すべきでない。彼の一身上の都合とは「聞かれたくない都合」の意味である。

 2つ目は、辞任について官房長官は「(本間氏)本人と話したか」との問いかけに対し、「はい。電話で話しました」と応じ、その後の記者会見で「今朝、本間会長より首相に電話で『一身上の都合により会長職を辞任させていただきたい』との強い申し出があった」と述べ了承したことを明らかにしている。これほどの事態が、電話一本で済まされる問題なのか。やっていることが軽すぎる。顔を見ることなく政府の要職の辞任が決定するこの安易さは何なのか。「実態を本人に説明してもらうことが大事だ」「宿舎を退去しているから」などということでお茶を濁そうなどという姑息な考えはみっともないし、国民をなめるているとしか思えない。驕れる者は久しからずや。
  3つ目は、本人が辞めたいと言っているのだから仕方ないと責任転嫁していることだ。「不的確な人物であったことが分かったので私が辞めさせた」と首相が潔く言えば話は分かりやすいのではないか。明らかに任命責任はある。本間氏の辞任について、「プライバシーの問題だ」「一身上の都合だから、任命責任の問題ではない」などと強弁しても、本間氏が勤務する大学の学生が「北新地のママとうまくやっているなんて・・・・・・」という素朴な感情からも、任命責任がないことを肯定する人は皆無に等しいだろう。感覚がずれているとしか思えない。こんな人が国の責任者なのかと思うと情けない。

 首相にとって本間氏の起用は官邸主導による成長重視戦略を強く示した人事だったという。そもそも政府税調と、自民党税調が対立していることが不可解である。縄張り争いにしか過ぎないのではないか。国民生活に関わる重要な問題をそんなことで左右されては堪らない。いい加減してもらいたい。
 本間氏がわずか約1カ月半で辞任に追い込まれたことで、首相の任命責任が問われるのは当然であり、復党問題などで陰りの見える政権の求心力に影響を与えるのは必至だろう。最近の政権には危うさと憐憫を感じる。

 何百兆円もの国の借金をかかえている国を立て直すために、必要な税制の改革は進めなければならない。明らかになっている国の無駄遣いを解消し、どうしても国がいき行かないなら増税もやむをえないかもしれない。国の無駄遣いは、マスコミが問題の指摘し注目されることがあっても、政治が問題提起している姿が見えない。地方の政治についてもオンブズマンの指摘で問題が発覚することがあまりに多い。既得権や利権を貪っている人が自ら問題を明らかにするはずはないのか。
大企業の減税で国民が潤うなどと思うのは間違いである。利益が上がっていながら非正規雇用社員が40%程度なのはなぜか。企業が利益を社員に正当な還元をしていれば昇給が顕著になっているはずである。みなし残業や賃金未払い、過労死があるのはなぜか。社会の一部の人間だけが利益を受けるような税制改定はお断りである。「消費税を上げずに国の借金をどうやって返せるのか」などと尤もらしい説明をしている人物もいるが、これだけの国の借金を作り出したのが誰なのか明らかにされないのはおかしい。税制を考える前にやるべき事を明らかにして説明責任を果たさなければ、国民は納得しないだろう。中産階級などと懐かしい言葉があった。かつてはそうだったかもしれないが、定職を持てず、持っていてもいつ解雇されるかの不安を抱えつつ、定年後も年金を5年間も支払われない状況がどれほど不安な心を作っているのか、為政者は身をもって知るべきである。

「ばれなければいい」と思っている人物に税制や政治を語る資格はない。

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