日々の抄

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  立場の違うそれぞれの提言だが

2007年01月03日(水)

 新しい年がまたやってきた。暖冬のためか穏やかな年の初めだった。年の初めに毎年報道されている事故が今年もあった。富士山での滑落死亡事故、浅間山でのベテランの遭難者は前橋市内の人だった。いずれも初日の出を拝するための登山だった。誰しも遭難するつもりで山に向かう人はいない。山行は慎重であるべし。人間万事塞翁が馬なのか。山行は過去に経験が多いことが遭難につながらないとも限らない。人生も然りだろうか。
 元日の朝刊の社説を読み比べてみた。年頭の社説はそれぞれの新聞社の姿勢を窺うものとして興味深いものがある。

朝日新聞。「戦後ニッポンを侮るな 憲法60年の年明けに」と題して、「地球と人間の危機」では『人間の暮らしを豊かにする技術の進歩が地球を壊していく皮肉、イラクの市民の死者がすでに5万数千人、停電や断水は絶えず、石油は高騰。避難民は50万人に達し、崩壊国家に近づいている。米英兵の死者も3千人を超えている』ことを憂える。
「新戦略」のヒント」では『自衛隊のイラク撤退にあたり、当時の小泉首相は「一発の弾も撃たず、一人の死傷者も出さなかった」と胸を張った。幸運があったにせよ、交戦状態に陥ることをひたすら避け、人道支援に徹したからだった。それは、憲法9条があったからにほかならない。』として、『自衛隊がどこまで協力し、どこで踏みとどまるか。「憲法の制約」というより「日本の哲学」として道を描きたい』としている。
「得意技を生かそう」で、『昨年、英国BBCなどによる世界33カ国調査で、日本が「世界によい影響を与えている国・地域」で2位になった』とし、アニメ、漫画、ゲーム、ポップス、ファッション、食文化……。どの分野でも日本が世界やアジアをリードしている』という。また『米国車とは対照的な国産車の省エネや環境対策といった日本の得意技は、これからも世界に最も役立てる分野である。』としている。
 そして、『むしろ戦後日本の得意技を生かして、「地球貢献国家」とでも宣言してはどうか』と提言している。具体的には『エネルギーや食料、資源の効率化にもっと知恵や努力を傾ける。途上国への援助は増やす。国際機関に日本人をどんどん送り込み、海外で活動するNGOも応援する』である。最後に『「軍事より経済」で成功した戦後日本である。いま「やっぱり日本も軍事だ」となれば、世界にその風潮を助長してしまうだけだ。北朝鮮のような国に対して「日本を見ろ」と言えることこそ、いま一番大事なことである』としている。

毎日新聞。「「世界一」を増やそう 挑戦に必要な暮らしの安全」と題して「世界一大きい鹿児島県の桜島大根、最古の木造建築の法隆寺、野球の王ジャパン、最長映画シリーズの「男はつらいよ」、世界一の長寿国などを挙げ、『2007年の年頭に当たって私たちは、この世界一のリストをどんどん増やしていこう』と提案している。それは『日本人がいまの豊かな暮らしを維持するには、世界一を増やすほかないから』としている。
日本を取り巻く情勢分析は「急速に進む少子高齢化」として、少子高齢化とグローバリゼーションの荒波にもまれていること、07年問題、団塊の世代が定年での技術が継承されず消えかねないことへの危惧している。少子化によって、長らく世界一だった1人当たり可処分国民所得が、近年、米国や北欧諸国に次々と抜かれつつあること、金融は破滅寸前に国民負担で救済された、としている。また、『「失われた15年」の遅れを取り戻すためには、目標と志を高く掲げる必要がある。』『日本の製造業の中には、ハイテク製品の製造になくてはならない部品や素材で、世界一のシェアを占める企業が何百とある。・・・こうした日本製の「世界一」が、私たちの豊かな暮らしのモトだ。これを増やす戦略をたて果断に実行する必要がある』。「世界一」を生むのは技術革新だが、安倍政権の「新成長戦略」には重要な視点が欠けているのではないか、と疑問を投げかけている。
 脳科学者の茂木健一郎氏の『子どもは母親が見守ってくれているという安心感があってはじめて、探究心を十分に発揮できる。新しいものに挑戦するには、母親のひざのような「安全基地」を確保する必要がある』が興味深い。『北欧諸国の高福祉高負担路線がなまけ者を作るシステムといわれたが、実際はめざましい技術革新で日本や米国より成長率が高い。その秘密は丈夫な社会的「安全ネット」の存在だ。失敗しても落ちこぼれないから、冒険ができる。それが技術革新をうむ。日本とは国の形が異なるからモデルにしにくいが、深く考えさせるものがある』。
 『安全基地と安全ネット。「安全」がキーワードである』とし、 「市場主義のひずみ噴出」として、『格差問題や働いても生活保護以下の収入しか得られないワーキングプアの問題など、市場主義のひずみが噴出』、「成長」が一番の処方せん、パイを大きくし分配を増やすのが問題解決の早道だ、とする安倍政権に対して、『時代はもっと先に進んでいる』、『安全ネットは弱者対策として必要なだけではない。冒険に踏み出す「安全基地」として不可欠なのだ。その観点から、現状は寒心に堪えない。年金制度の長期的安定性に疑問符がついているようでは話にならない。政府の成長戦略は暮らしの安全保障を先送りする口実になっていないか』と分析している。
そして『日本はさまざまな世界一を必要としている。なかでも必要なのは、世界一国民を大事にする政府である』として、春の統一地方選、夏の参院選で国民が投票所に足を運ぶことで、国民のための政治を実現し世界一づくりの第一歩としよう、と呼びかけている。

読売新聞。「タブーなき安全保障論議を 集団的自衛権『行使』を決断せよ」と題して、「北」の核は容認できぬ、核の傘は機能するか、鍵を握る中国の影響力、前提となる財政基盤、消費税増は不可避だ、のサブタイトルをつけている。
北朝鮮の驚異に対して『日本が、国を挙げて核武装しようとすれば、さほど難しいことではない。』『しかし、現在の国際環境の下で、日本が核保有するという選択肢は、現実的ではない。』『核保有が選択肢にならないとすれば、現実的には、米国の核の傘に依存するしかない』、『同盟の実効性、危機対応能力を強化するため、日本も十分な責任を果たせるよう、集団的自衛権を「行使」できるようにすることが肝要』。『ミサイル防衛システムの導入前倒し・拡充は当然。・・・敵基地攻撃能力の保有問題も、一定の抑止力という観点から、本格的に議論すべき』。『また、非核3原則のうち「持ち込ませず」については議論し直してもいいだろう。東西冷戦時代、寄港する米艦艇の核搭載は、いわば"暗黙の常識"で、非核2〜2・5原則と議論を呼んだ』『核保有が現実的でないとしても、核論議そのものまで封印してはならない。議論もするなというのは、思考停止せよと言うに等しい』としている。
  「安全保障態勢の整備を支えるには、経済・財政基盤が必要。だが、国、地方を合わせて770兆円以上の長期債務を抱え、このうち国の債務は600兆円近い。与党は、消費税論議は秋から開始というが、事実上、参院選を意識しての先送。EU諸国並みに、生鮮食品はじめ、教育・文化用品を含む生活必需品など軽減税率の適用対象を仕分けしたり、周知期間を置く必要があることを考慮すれば、それではとても09年度の導入には間に合わない。より早い議論開始・導入の決断を急ぐべき。それらが「国家百年の計」のための必要経費だ」という。
これらの論旨は最近TVの討論番組で与党議員が語っていた内容と殆ど重なっている。北の脅威論から消費税の早期実施説まで一見論理的のように見えるが、大事な論点が欠けている。北の脅威論に異論はないものの、国の財政が瀕死状態だから早急に消費税を上げろという話には、「誰が、何が、何故瀕死状態にしてきたのか」という肝心なことが論じられてない。それらの分析と原因究明をしない限り、いくら消費税を上げても、経済的に困窮している庶民にさらなる負担を増やすだけである。入り口だけを論じて出口に全く触れないのは片手落ちとしか言いようがない。大企業減税について述べられてないのは、読売新聞らしい。三段論歩論法でなく二段論法と言えよう。

東京新聞。「年のはじめに考える 新しい人間中心主義」と題して、『戦後最長の景気拡大」と「企業空前の高収益」がよそごとのような年明けです。この国は未来を取り戻さなければなりません。新しい人間中心主義によってです』から始まる。
  「若者には未来がある」では、勝ち組である東大生でさえ七割が就職に不安を感じ、三割近くが「自分がニートやフリーターになるかもしれない」と回答していることから、『人はだれも未来に一抹の不安を抱くが、東大生たちの回答には怯みが感じられる。徹底した市場原理主義と競争社会が緊張を強いる。それに比べ、団塊の世代が社会に出るころは幸せな時代だった。高度経済成長のただなかで、明日は今日より豊かだという確かな未来があった』としている。『・・・「努力」や「勤勉」「律義」や「誠実」は、なお大切な徳目で労働は、喜び、自己表現であったり生を充実させるものでもあったが、若者をめぐる境遇は、いま、一変。バブル崩壊後の長く絶望的な不況からの脱出のためにはそれしか方法がなかったのかどうか。』
 『企業の大幅な人件費の削減と組織の中核を形成する社員以外は非正社員化することを打ち出した「新時代の日本的経営」(一九九五年・旧日経連報告書)。それに直撃されたのが、団塊ジュニアともいえるべき世代だった。企業にとって、パートやアルバイト、派遣労働などの非正規雇用は、安価で、必要な時に必要な量だけ調達できるこのうえなく効率的なものだった。・・・ことに不遇だったのは、永く厚い就職氷河期下にあった若者だった。』『二〇〇五年現在で、十五−三十四歳の男女でパート、アルバイト労働に従事すると定義されるフリーターは二百一万人を数えます。平均年収は百四十万円です。』と指摘している。
「国の基盤が壊れてしまう」では、『七割が正社員を希望しながら脱出できず年長フリーターとなっていきます。結婚し、子供をもち、家庭を築きたい、というごく当たり前の願いが叶いません。そんな国に未来はあるのでしょうか。小泉前政権で加速された市場原理主義と新自由主義による構造改革で貧富と格差はさらに拡大しました。働く者の三人に一人、千六百万人までになった非正規雇用。生活保護受給はかつての六十万世帯から百五万世帯に、その生活保護世帯よりさらに所得の低いワーキングプア層まで生まれてきました。』として、すでに1.26まで低下した出生率は『産みたくても産めない社会では、一企業の消長どころではなく、国の基盤そのものが壊れてしまいます。早急に立て直しが必要です。』、『若い世代が希望をもてない国に未来があるとは思えません。』とし、『行き過ぎの市場原理主義に否定されてしまった人間性が復活し、資本やカネでなく新しいヒューマニズムが息づく社会−そんな選択であるべきです』としている。
これら述べられていることは共感できるものばかりである。『勝ち組世襲議員に敗者の心情が理解できるか』と締めくくっているが、「新しいヒューマニズムが息づく社会」がいかなるものかの具体的提言が望まれる。それが最近はやりの、絵に描いたような餅にしか聞こえない「美しい国」でないことだけは確かだろう。庶民の痛みがもっとも伝わってくる社説だったと感じた。

 それぞれの社説にはそれぞれの色合いがはっきりしていていいのだが、現状分析はよしとしても、国の進んでいる方向、進むべき方向に対する鋭い「批判」の精神は忘れまじ、である。最近のマスコミ、特に新聞の論説はあまりにも政権に対して迎合するものが多いと感じている。政権を肯定ばかりしていたことが、過去にいかなる結果をもたらしたかの再認識が望まれるところである。最近の大政翼賛会のような政治には危険なものを禁じ得ない。第三極どころか第二極も怪しい情勢には不安を感じないわけにはいかない。また新聞社と経営をともにしているTV局で、人気者の政治家が物知り顔で国民に「体制の考えを刷り込んでいる」としか思えない内容の話をもっともらしく語っている様は不快感だけでは済まされない気がする。無責任なコメンンテーターの思いつきな発言はご免被りたい。
新聞は「真実を伝える使命を負う」などと言われるが、曇りの日を、「晴れなくて残念」と言うか「雨が降らなくてよかった」とするかは見解の分かれるところだが、この国を背負っているのは多くの名もない国民だという観点だけは忘れないで貰いたいものだ。一度も倒れたことのない人間に、しこたま膝を打ってつけた傷の痛さは分かるまい。それを分からせようとする大きな力をマスコミが持っていることも忘れまじである。

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