日々の抄

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  日本人は薄情になったのか

2004年11月6日(土)

 10月26日イラクで日本人男性がザルカウイ一派に拉致された。「48時間以内に自衛隊を撤退させなければ、人質の男性を殺害すると警告した」とイスラム系ウェブサイトに出された。これに対し日本国首相は、間を開けることなく「自衛隊は撤退しない」と明言した。警告後の早い時間の後のこの日本からのメッセージは犯人側を少なからず刺激したことは違いないだろう。
  10月31日。数日前に報道された別人の遺体だったという誤報に一縷の望みをつないだ家族の必死の願いも叶わず、命を残酷な姿で絶たれてしまった。首相は「引き続き国際社会と協調し、イラクの人々のために自衛隊による人道復興支援を行う」という声明を出した。
  彼の友人は、「彼はボランティアに熱心で、高齢者介護にも関心を持っていた。困っている人を放っておけない性格だった。いつかは青年海外協力隊に参加したい」と話していたという。

 今回の遺体発見までの顛末で腹立たしいいくつかのことあった。
  第一に、危険と知っていて、周囲から反対されながらも、なぜイラクにいったのか。軽率さの誹りは免れないとしても、「勝手に行ったのだから、殺されたって構わない。自業自得だ」という内容を含めた全国からの非難があった。家族に対し、27日夜に中傷の電話が実家に数多くかかってきたという。また市役所には「自分の意思で行った人を税金で助ける必要はない。災害で困っている人のために使うべきだ」「身勝手なことをする人に支援するのは納得いかない」という類の非難、誹謗中傷が数多く家族に対して投げかけられた。こうして家族に向けて言葉を発した人々は、家族が死に瀕していてどれだけ心細く悲しい思いをしているかを考えたことがあるのだろうか。彼がイラクに行ったことを家族は知らなかった。イラクに行った責任は本人にあるのであって、傷つき心細い思いでいながら家族の無事を祈らずにいられない家族にどのような責任があるのか。非難があるのなら本人にすべきところであり、家族に向けるものではない。誤った市民平等意識にとりつかれた正義感はあまりにも心が狭い。彼が無事に帰って来たら思い切り抗議したい人物が、彼に面と向かって話すべきである。顔の見えないところで、正義漢ぶってそれも匿名でインターネットに書き込み、手紙を送るなど、人間として恥ずべきことである。正々堂々と名を出してなぜ語らないのだ・・・・・・。家族といえども成人した人物の行動を、親は何をやっているのかなどと言う、了見の狭い人間が多いのは悲しいことである。小学生が都合の悪いことをすると、「学校は何をしているのか、親は何をしているのか」と言っていることと何ら変わるところはない。

 第二に、そもそも日本国がイラクに自衛隊をなぜ派遣しなければならなかったのか。独、仏国が反対している中で米国が「大量破壊兵器を保有している」ことを理由に実力行使したその米国の首脳が、「大量破壊兵器はなかった」と認めているではないか。日本が自衛隊をイラクに派遣していることに大儀がないことは明白である。

 自衛隊法で「非戦闘地域」で認められる派遣ではなかったのか。自国民が「支援したいイラク」の無頼漢とも言える集団によって「自衛隊派遣」を理由に殺害され、また自衛隊基地にロケット弾が着弾し、金属製のコンテナを突き抜けるほどの被害を受けていながら、なぜ非戦闘地域と言えるのか。殺戮があっても裁かれることなく、弾丸が打ち込まれても、防ぎようのない状態を戦争というのではないか。不幸にして自衛隊員がロケット弾の攻撃を受ける事態が生じても、まだ非戦闘地域というのだろうか。子も親兄弟ももつ有意な青年が米国の顔色を伺うために失われていいのだろうか。今の日本は果たして独立国といえるのだろうか。

 首相はこれまでも「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か、日本の首相にわかる方がおかしい」などと、非戦闘地域の具体的な根拠を示さずにいる。
 (11月10日「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」と信じられない国会答弁があった)

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