日々の抄

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  詫びる前にすることがあるのでは

2007年02月03日(土)

最近はテレビでいろいろな人が謝罪の会見をしている場面を見る機会が多い。いずれも社会的ルールを逸脱し、苦渋に満ちた謝罪であるが、「お詫びしたいと思います」という言葉は信用できない。心から謝罪するなら、はじめから「お詫びします」と言えばいいのだが。「・・・したいと思います」はお詫びする予定を言っているだけで、本当にいつ詫びるのか疑わしい。詫びたくないが、詫びたフリをしないと都合が悪いから、とりあえず詫びたことにしておこうということか。

 いくら詫びても許されず、副議長を「断腸の思い」で辞任する人がいると思えば、女性蔑視の発言をしても大政党が擁護し、国会で一日に7回も謝罪の言葉を述べて逃げ切ろうとする人もいる。この場合、愛知県知事選と北九州市長選の選挙結果によって去就が決まるというから、おかしな話である。地方選挙で、応援する人物が当選すれば、女性蔑視発言を日本中で認めることになるはずなどないことは自明である。今は「潔い」という言葉は死語になったのか。

 一方でこの1週間の新聞を見ると、毎日のように「お詫び広告」が掲載されている。2月2日には「焼菓子の一部に、製品敷紙の裁断片が付着しているので回収した」旨の有名パンメーカーの広告。「ペンダントの先端に尖った部分があり、転倒した場合怪我をするおそれがあるのでを回収したい」旨の広告があった。1日には「マッサージ椅子の電源部が断線し発煙・発火に至る可能性がある」というお詫びと連絡を乞う広告、1月31日は「石油燃焼機器のリコール情報」、「ハロゲンヒーター管が破裂してカーペットなどが焦げついた事故のお詫びと回収依頼」、「アルゼンチンから輸入した瓶詰め食品に日本国内で許可されてない添加物が使用されていたので回収したい」、「屋内設置型湯沸器の危険性と無償交換のお願い」、30日には「中国から輸入された米麺に食品衛生法で認められてない遺伝子組み換え米の混入が判明し全量保管中だが、これまで使用したものの中への混入が完全に否定できないので回収したい」の広告とともに、記事に「フジテレビ社長によるデータ捏造番組に対する謝罪」、「ゲーム機電源コードにやけど発火のため商品の回収・交換し販売を当面見合わせる」があった。29日は「関西テレビ社長の捏造番組に対する謝罪とともに抗議のメール・電話が1万3千件あった」ことを伝えている。27日は34,35両面の下はお詫びだらけ。「賞味期限が切れた原材料を使った菓子があった」2件、「賞味期限が切れた原料を使ったチョコレートがあった」、「生ブルーベリーに賞味期限が表示されてなかった」、「ワインの中にガラス片が混入していた」2件、「デパートで販売されていた饅頭の賞味期限シールの印字が一月誤っていた」、「洗濯乾燥機に発火のおそれがあるものがあるので修理再点検を求める」。26日には「プリンの上部にあるクリームに、味覚異常が発生する可能性がある。販売中止、回収する」。24日には「ワインにガラス混入」、「中国製カシミヤマフラーに家庭用品品質表示法の定めに満たない商品が混入していた」などというものであった。

 誤りは正さなければならないが、これほどの謝罪文が連日掲載されていることは異常ではないか。今まで気づかなかったが、同じようなことがあったのだろうか。いや、最近は多すぎるのだ。消費者の目が厳しくなったこと、情報がすぐに流布することなどから、「知らぬ顔の半兵衛」をきめ込んでいてそれがバレた日には、決定的なダメージが与えられる恐れがあるので、傷の浅い内に公表しておくことが賢明な策と考えてのことか。しかし苦しい思いで詫びる前に、詫びなくてもいいような事前の努力が大事である。商品は企業にとって「顔」である。自ら自信のない顔は人前に晒さないことだ。「お詫び」を公表した企業は比較においては良心的なのかもしれない。きっと公表されてない多数の「お詫びが」あちこちに転がっているに違いない。これだけの「お詫び」があるなら、身のまわりのものへの不信感が募るばかりだが、心配ばかりしてないで少々のことでは壊れない丈夫な体を作ることが早道か。だが、人の命に関わる誤りと偽装は徹底した糾弾に値する。

 誤りを「この程度ならバレやしない」と考えているなら、その道のプロではない。ろくな味も出せないのに、ラーメンは汁から飲め、などと講釈ばかりしている人物と同じである。今となっては、「自分が納得しない仕事はしない」と頑固に道を究めようとしていた昔の職人気質が失われているのか。その頑固さは、彼の心の支えでもあり、社会の支柱でもあったのではないか。「あの人のした仕事なら信用できる」という人間関係と信頼が、仕事への厳しさと職業人としてのプライドにつながっているはずである。「財は残さずとも、語り継がれる仕事と心を残す」。そうした気持ちが今までの日本を支えてきたのではないか。

 何十年にもわたって子ども達の信頼を得ていた菓子メーカーの、常軌を逸した消費者を無視した衛生管理が発覚して失った信頼は、これから何十年もかけなければ回復できないだろう。もしかすると永久に回復できないかもしれない。信頼は「築くに難く、壊すに易し」である。

 論語に「過ちを改めざる、これを過ちという」がある。また、「過ちを観て斯(ここ)に仁を知る」は、他人の過ちをみると、その人が仁人か否かがわかるという意だが、姑息な言い訳と悪あがきをしている人物が仁人ではあり得ない。多くの人が「過ちては改むるに憚ること勿れ」と考えることができれば、つまらぬ争いはなくなり、安心して生活できる世の中になるのだが。

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