日々の抄

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  失言・妄言・暴言・差別発言は続く

2007年02月11日(日)

 柳沢厚労相が2月6日の記者会見で、「若者は『結婚して子供を2人以上持ちたい』という健全な状況にいる」などと発言。「女性は子ども産む機械」発言に続いて囂々たる非難を浴びている。はじめの発言に対して不適切と陳謝しているにもかかわらず、「子供を2人以上作れない人々は不健全と言わんばかりの発言だ」と聞こえる。真意はどこにあるのか。不適切発言であることは違いない。
同様の政治家による失言は限りなくある。古くは原健三郎元労相の「感謝の念を忘れると養老院行き」が思い出されるが、比較的最近のいくつかを思い出してみる。
 ・井上防災元大臣:佐世保で起こった女子児童殺害事件について「女の子だからね。これはまあ、従来の考え方をある意味で多少覆すことじゃないか。男がむちゃやって何かしでかすということはあったかもしれないが、女がやったというのは初めてではないか。最近は男女の差がなくなってきたんだね。元気な女性が多くなってきたということかな」
 ・太田誠一議員:早大レイプ事件について「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」「元気があって羨ましい」
・森元首相:「子どもをたくさんつくった女性を、将来国が面倒を見るのが本来の福祉である。従って、子どもを一人もつくらない女性が自由を謳歌して楽しんで、年取って税金で面倒みなさいというのは本当におかしい」
 ・鴻池大臣(青少年育成推進本部担当):長崎で起きた中一男子学生による幼児殺害事件について「少年犯罪の罰則は強化しなくてはいけない。(罪を犯した少年の)親は市中引き回しの上、打ち首にすればいい」
 ・小泉前首相:「公約違反は大したことではない」
 ・石原都知事:「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、"文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ"なんだそうだ。"女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です"って。・・・女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね」
引用元とされた松井氏は「これはコメントしようがないね…。石原氏の発言を見ると、私の言っていることとまったく逆のことだからね。私はこういう言い方はどこでもしたことはないし、おばあさん仮説という理論を私はいろんなところで話しているから、それを見てもらえば分かるでしょう」。松井氏は「おばあさんが存在すると、おばあさんの経験が活かされ、次の世代の出産はより安全になる。さらに、おばあさんに子供の世話をしてもらえるので、次の出産までの期間が短くなり、出産回数が増える。これらは人口増加をもたらす。こうして人口の増えた現生人類は世界中に散らばり、その過程で様々な道具を生み出し、さらに脳の回路が繋がり、言語が明瞭に話せるようになったことで、抽象的な思考ができるようになり、人間圏をつくるまでに繁栄したと考えられる。」としているから、石原氏の発言は他人が語ったことにした妄言の確信犯である。
石原氏は失言・暴言の大生産者である。熊本に水俣病視察に訪れ、患者らが手渡した抗議文について「これを書いたのはIQが低い人たちでしょう」、重い障害のある人たちの治療にあたる病院を視察した後「ああいう人ってのは人格あるのかね」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」、陸上自衛隊・練馬駐屯地の式典で「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな大きな騒擾事件すら想定される」

 新しいところでは、厚労相の諮問機関である労働政策審議会分科会委員、奥谷禮子氏:「格差なんて当然出てきます。仕方がないでしょう。能力には差があるのだから、下流社会だの何だの、言葉遊びですよ。そう言って甘やかすのはいかがなものかと」「経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。」「祝日もいっさいなくすべきです。労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約で決めていけばいいこと」。奥谷氏は自らのホームページで『職種によっては、どこまでが仕事で、どこまでがプライベートか分からないものがある。研究者などは最たるもので、あるテーマに没頭しはじめれば、公私などありはしない。・・・・企業の中でホワイトカラーの仕事、つまり、毎日ルーティンワークをしている人は数少なくなり、人事、総務、経理、庶務にしても毎日がイノベーションであり、仕事の改善、工夫が求められる。そこには企画、開発的な仕事はついてまわる。従来のホワイトカラーの仕事と大きく変化してきている。質の変化と仕事のイノベーション、意識のイノベーションを求められる。それに対しての成果をどう評価されるのかという事になる。』としている。
 多くのホワイトカラーがこのような事に該当するのか。ワーキングプア、過労死、サービス残業を余儀なくされている人々の苦しみが全く理解できてないこういう人物が労働政策審議委員になって将来の労働問題を語っていることが誤りと思えてならない。

 いずれにせよ、失言・妄言・暴言・差別発言は、語った言葉を聞く立場の人がどのように受け取るか、どれほど傷つけられるか、など相手の気持ちをくみ取ろうとする想像力が決定的に欠けているといえるだろう。社会的立場があったり、経済的に豊かである者が、必死に働いても報われることなく、あるいは本人の努力によって解決できようがない問題に対しての配慮のなさが人を傷つけている。発言した人物は「なんでそんなことで傷つくんだ」と思っているのだろうが、「そんなこと」に心を悩ませ、悲しんだり苦しんだりしている多くの人々が、この世を支えていることになぜ気づかないのだろうか。

 言葉は言霊といわれる。失言する人は当人の魂、人格が問われていることに気づかない傲慢さ、思慮のなさを知るべきである。そうした人物を社会的立場に立たせている国民はとっくに目覚める時が来ているのではないか。

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