日々の抄

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  格差をなぜ認めないのか

2007年02月18日(日)

 13日の衆院予算委員会の質疑に「格差問題」が取り上げられた。民主党の菅直人氏が自民党の青木幹雄参院会長の「格差が存在することは紛れもない事実」という発言も引用し、「この5年、経済は成長したが、賃金は下がり、格差は広がった」として「格差拡大」をめぐる首相の認識を質問したが、「20代、30代で格差が増加している傾向がある」と語る一方で「景気が回復した結果、完全失業率は下がり、新卒者の就職内定率は改善した」、「格差があると感じている人や地域があるのであれば光を当てるのが安倍政権の(政策の)一つの柱」、「一生懸命頑張った人とそうでない人がある程度差がつくのは当然」と答え、すれ違いが目立った。
 首相は小泉前内閣で官房長官で基本的に小泉政治の継承を掲げているから、前内閣のもたらした格差問題を認めることが自身の責任につながると恐れてのことだろう。競争が不公平にならぬよう、頑張ろうという人が何度も挑戦できる社会を作るというのが首相がアピールする「再チャレンジ」なのだろうが、はたしてそれが可能な社会構造になっているのだろうか。そもそも格差が「あるのであれば」の発言は看過できない。この発言が真意なら首相の日本社会に対する現状認識は甚だ甘く、多くの国民の苦しみを認識しているとは思えない。格差を問題にしているのは、努力しても仕事を得る機会を与えられず、経済的に豊かになれず、努力しても進学もできないということが現実にあるからであって、怠けていたのだから賃金が低いのは当然と考える者がいるなら、とんでもない思い上がりの考えである。格差を認めないなら、現政権では格差を少なくすることも到底望めず、他人事に思っているのではないかと思えてくる。少なくとも熱意を感じられない。首相が考えているパート労働者の正社員化を進める法改正は、パート全体のわずか4、5%しか恩恵を受けられないことが明らかになっている。いくら「家計や雇用に果実を広げたい」などの耳障りのいい言葉が並べられても、具体的に目に見える形の提案があり、そのことによって「懸命に働けば未来が拓けそうだ」と多くの国民が思えなければ活力ある国にはなれまい。否定できない貧富の二極化の問題にどう対応するかの明確な姿勢を見せ結実してこその政治ではないか。

 格差について昨年の国立社会保障・人口問題研究所の分析結果によると『働き盛りの30〜40歳代で所得格差が拡大していた。2002年度までの15年間に、格差の度合いを示す指標であるジニ係数(下注参照)が最大30%も上昇していた』。市場経済の競争を重視する小泉政治の作った「格差社会」が浮き彫りになっている。前首相は「問題になるほどの格差はない」と繰り返してきた。それに呼応するかのように内閣府も、格差拡大論に対する否定見解を発表。「もともと所得や資産の差が大きい高齢者世帯が増えてきたからで、見かけ上の格差拡大にすぎない」と反論していた。しかし、この調査の基になった厚生労働省の「所得再配分調査」データでは、2002年度当初所得の年収で一千万円以上の世帯が13%を占める一方、百万円未満の世帯は約23%にも上った。明らかに二極分化している。ジニ係数は1980年代から上昇し続け、35〜39歳の男性では29・6%もアップしている。60歳代以上でも格差は広がっていたが、年金を加えた再配分所得で大幅に圧縮された。つまり現役世代の30〜40歳代は社会保障の恩恵を受けにくいこともあり、格差が直接反映されたことになる。今後も現役世代は、拡大していく可能性が指摘されている。
 かつて日本社会は総中流社会と言われた。長期不況後の景気回復が、リストラなど正規労働者の削減、派遣やパートへの切り替えなどの「構造改革」で支えられてきたのが所得格差が広がる一つの理由として考えられ、総務省の統計では、非正規労働者は10年で約六百万人増え千六百万人。厚労省の労働経済白書の2006年版骨子でも、賃金差の拡大が懸念されている。
また、毎日新聞の調査によると、『99〜04年の全国の市区町村の納税者1人あたりの平均所得に関し、ジニ係数を年ごとに割り出したところ、2002年を境に上昇したことが2月3日判明した。平均所得の最高値と最低値の差は3.40倍から4.49倍に拡大、前政権の間に地域間格差が開いたことを示した。調査に当たった東大神野教授は「感覚的に論じられてきたものを初めて定量的に示せた」と指摘』とあり、個人の格差だけでなく地域格差も明らかにされている。

 経済協力開発機構(OECD)による対日経済審査報告書によると『日本は先進国の中で貧困層の割合が二番目に高い。不平等の度合いも増している。それも、小泉政権ができる前の2000年段階から』と指摘している。報告書はまた、『可処分所得が中位置の半分に満たない割合(相対的貧困層)は2000年段階で13・5%。OECDに加盟する三十カ国中、米国の13・7%に次ぐ高さだった。』と指摘している。格差が広がった理由には雇用形態の変化を挙げ、長引く景気低迷で企業がリストラを進めた結果、正社員とパートなどの非正社員の二極化が強まったと分析。同時に、貧困の固定化につながることから、所得が低い世帯の子どもの教育水準が下がる懸念も示している。そのために正社員を増やす施策の必要性や、非正社員への社会保険の適用拡大、母子家庭など生活が厳しい世帯への財政支援の強化などを提言している。

安部内閣は内閣府に「成長力底上げ戦略構想チーム」を設置し「格差問題」などに取り組む姿勢をアピールしている。「成長戦略」だけでは立ちゆかぬと思ってのことか。
 主査を務める官房長官は格差を「新たな貧困」などと言っているが顰蹙ものである。会議では『フリーター、母子家庭などの職業能力形成、生活保護世帯などの就労支援』などの課題を列挙している。だが、ワーキングプアの明記は「定義が明確でないので、政策の対象にすることは望ましくない」として見送られている。職業能力向上策は昨年末に政府がまとめた「再チャレンジ支援総合プラン」にも含まれており、経済界の協力をどこまで得られるかも含め不透明な点も多いという。「具体的な処方箋をお示しをすることができた」と語るには、わずか2週間でまとめ上げた内容に具体性が見えにくい。定義が明確でないならなぜ明確にしないのか。

 平成18年 国民生活に関する世論調査によると、悩み不安の内容の前年との比較は「老後の生活設計」が48.3→54.0%と増加し、不安を感じている人の中で50歳代が70%、40歳代が60%も不安に感じているという結果が出ている。一方、平成15年版国民生活白書によると『雇用形態別にみると正社員では、週当たり60時間以上働く階層を除く全階層で減少し、特に30時間以上50時間未満働く人が減少している一方、就業時間が60時間以上の長時間働く人は増加。一方、パート・アルバイトでは短時間働く人も長時間働く人も増加しているものの、特に週当たり50時間未満働いている層で増加している。500人以上の規模の大きな企業で週当たり50時間以上働く人の割合の上昇幅が大きくなっている。大企業では、新卒採用抑制により若年雇用者の割合が減少しており、若年の正社員がやるべき定例業務を少数ながら採用された正社員で行い、1人当たりの仕事が増加したため、大企業で若年の就業時間の長時間化が進んでいると考えられる。このように、若年の就業時間については、近年、労働時間の短い正社員が減少し、パート・アルバイトが増加する一方で、長時間働く正社員が増えている。』としている。正社員としてなかなか働けない状況の中、正社員の過重労働が強いられ、一方でパート・アルバイトが低賃金で保証のない状態で雇用され、所謂ワーキングプアの姿が見えてくる。

 国民の多くが老後に不安をかかえ、正社員として働いて安定した未来を拓こうと思ってもままならず、年齢加給のないパート・アルバイトで年を重ねていけば、家庭を持とうと思っても経済的に困窮することは見えている。年金、少子化、医療問題のどれをとっても将来、それもいくらもしない内に立ちゆかなくなる日本の姿が見えてくるのではないか。政治はご託を並べるだけでなく、雇用促進を企業に強力に働きかけ、働きたい人に雇用の道を開けるよう行動してほしい。まじめに働けばなんとか自分の将来を展望でき、老後は安心して年金も医療も恩恵を受けられる社会にしていく。それが政治の仕事なのではないか。
日本医療政策機構が15日に報じた「具合が悪いのに医療機関の受診を控えた経験がある人の割合は、低所得層の方が高所得層より2.5倍高く、医療費に不安を持つ低所得層は、高所得層の2.3倍」を為政者はどう見たのか。聞いてみたい。金がなければ病気になれないのか。病気になっても医療を受けられず死を待つだけなのか。日本はそれほど貧しい国なのか。そんな国が美しいはずがない。つまらない意地を張らず、「格差」を認めて一日も早く多くの人が「日本に生まれてよかった」と思えるようにしてほしい。そういう世の中が来れば、命令されなくとも自然に日本を愛する気持ちが湧いてくるのではないか。

(注) ジニ係数(Gini's coefficient):所得の不平等感を0〜1の間で示す数値。「0」は完全な横並びで、数値が高いほど格差が開き、「1」は1人だけに所得が集中する状態となる。イタリアの統計学者、C・ジニが考案した。日本の個人所得のジニ係数は80年前後から上昇。どの統計を使うかで数字は異なり、0.2台〜0.4台と幅広い結果が出ている。

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