日々の抄

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  こんな事が許されていいのか

2007年02月25日(日)

 2003年4月の鹿児島県議選をめぐる選挙違反事件の判決が2月23日、鹿児島地裁であり、公選法違反(買収・被買収)の罪に問われた鹿児島県志布志市の元県議ら12人の被告全員に対し、「いずれも犯罪の証明がない」などとして無罪を言い渡した。2回の買収会合に出席していないとする元県議のアリバイが認定され「買収会合の事実は存在しなかった」と判断。6人の自白調書は「脅迫的な取り調べがあったことをうかがわせ、信用できない」などとして、検察側の主張をことごとく退けた。起訴状では、4回の会合で、11人に計191万円を渡して投票を依頼するなどしたとされが、判決は、4回の会合のうち2回について、中山被告が出席するのは「物理的に不可能」として買収会合の存在自体を否定し、自白調書について「あるはずもない事実が、さもあったかのように、具体的かつ迫真的に表現されている」と信用性も否定。そのうえで「自白の成立過程で、自白した被告らの主張するような追及的・脅迫的な取り調べがあったことをうかがわせる」と指摘した。

 検察側は「自白は自発的だった」「自白は具体的かつ詳細」などとしていたが判決ではこれを否定された。捜査の段階で、親族の名前や親族からのメッセージに見立てた「早く正直なじいちゃんになって」などと書いた紙を踏みつけさせた、「踏み字」をさせていた。天草四郎の時代でもあるまいに、21世紀の現代、それも4年前にこれほどおぞましい捜査が行われていたことは信じがたい。これらの行為については民事裁判で「公権力をかさに着て原告を侮辱するもの」として県に60万円の支払いを命じている。
 「踏み字」は二人に対して行われた。その一人である、訴えられた元県議経営の従業員の女性の告白が生々しい。

 捜査員がやってきて「話をすれば、すぐに終わる」と思い、車に乗り込んだが、車中で世間話をしようとすると、「黙って。署で聞くから」と言われた。「事情を話すだけだと思ったら、疑いをかけられていた」。取調室に入ると「四浦に行っただろ」と警部補は迫ってきた。身に覚えのないので「行っていない」と言うと「行ってるんだよ」と譲らなかった。会合に参加していると自供していると言う同僚の名前を書いた紙を「踏みにじれ」と命令してきた。「できません」と断っても、「じゃあ、あんたがうそを言っているんだ」と言われ押し問答がしばらく続いたが、「同僚が裏切るはずはない」と突っぱねた。取り調べは連日続き、4日目の朝、取り調べの疲れからか頸椎ヘルニアが悪化。影響で財布からお金が出せないほどに両腕に痛みが走り、迎えに来た警部補に「病院に行きます」と伝えた。警部補は「私も一緒に行く」とついてきた。治療後再び取調室に行くと、警部補は「お前は被疑者だ! うそつき野郎が!」と怒鳴り、「外道という字を知っているか? 外れた道と書くんだよ!」とののしったという。彼女は計18日間の取り調べで何人もの捜査員に「認めろ」と迫られたが、「認めたら逮捕されると思ったから、絶対認めなかった」。同月4日から2カ月間の入院を余儀なくされ、仕事に復帰できたのは12月だった。二人がそれぞれ別の捜査員から「踏み字」を迫られたことは、県警内部に『踏み字手法』があったのではないか。

 訴えられた元県議に対する捜査では「2回目の逮捕のときだった。私が認めんもんだから、刑事に『奥さんが認めている。あんたのようなうそつきとは離婚すると言っている。あんたが1回でも認めれば、奥さんはすぐに出せる』と告げられた」という。同じく逮捕された妻が否認しているにもかかわらず、都合のいいように利用されていた。罪状を認めさせるための虚言である。子供だましのような「追及的、強圧的な取り調べがあったことをうかがわせる」取り調べが連日行われていたら、自分だったらどこまで踏ん張れるのだろうか。こうした取り調べは拷問器具を使って自白を強要し、楽になりたいために偽りの自白をしていた、封建時代の取り調べとなんら変わるところはない。

 冤罪事件として思い出されるのは松川事件、弘前大教授夫人殺人事件、八海事件、二俣事件などである、これらは警察の誤捜査、捏造によるものであった。他にも数限りなく冤罪事件は発生している。新刑事訴訟法下で物証がまったくなく、自白だけで立件、それも自白強要、違法捜査が行われていたことに驚くばかりである。取り調べの関係者が、上部からの指示なしにこうした取り調べを行ったとは考えにくい。取り調べ関係者3名の処分が行われたが、なんと減給1/10が3ヶ月だけという。「民事判決を重く受け止めて厳正に対処した。誠に遺憾で申し訳ない」と謝罪しているが、これほど人権を侵害するような捜査をしておきながら、どこが厳正な対処なのか。到底納得できる対処ではない。自白を強要し、「踏み字」までさせ、恫喝さえもした捜査関係者にこんな程度の処分で許されるのはおかしい。被告とされた人が、犯人と疑われて職を失ったり、健康を害していることを考えると、到底納得できる処分ではない。また、数戸しかない静かな山あいの集落をずたずたに引き裂いた罪は重い。彼らは免職に値するのではないか。そんなことをしてきた者が今も現場にいることを考えると、同様の冤罪事件の発生を危惧せざるを得ない。許し難い行為と処分である。当然、当時の捜査を指揮した上司も処分の対象になるべきではないか。民主的な警察が聞いて呆れる。教員にも免許更新制を求めるご時世なら、警察も長期間にわたる再教育が必要なのではないか。現場に立っている者だけでなく、その上司も同様である。

 強圧的な自白強要にも屈せず無実を訴え続けてきた人は立派である。彼らのがんばりがあったからこそ、異常で違法な取り調べ、データのでっち上げが明らかになった。「正義は勝つ」と思わせてくれる今回の判決であった。業績を上げるためのでっち上げであったなら絶対に許せないことである。権力を持っている立場の人々は謙遜であれ。
 事の発端は、たれ込み電話だったというが、誰が電話したのか。その電話が信用に値することの検証をしたのか。電話の主の罪はなぜ問われないのか。マスコミはそのことをなぜ追求しないのか。マスコミは判決を一斉に、警察、検察を非難する論調で報じているが、無罪判決を受けたひとりの「報道も最初のうちは一緒になって事件をでっち上げたんじゃないですか」という言葉にどう答えるのか。

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