日々の抄

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  赤ちゃんは葉書ではない

2007年03月03日(土)

 熊本市の慈恵病院が昨年12月、保護者が育てられない新生児を預かる、いわゆる「赤ちゃんポスト」設置に伴う施設の変更許可を医療法に基づいて熊本市に申請した。「赤ちゃんポスト」設置に対する関係法規は、児童虐待防止法(保護者が監護を著しく怠るか否か)、児童福祉法(公的機関での相談を義務づけている)、母子保健法(妊娠の届け出義務などを定めている)などがある。市が許可する場合、病院に『(1)ポスト近くに児童相談所や保健センターへの相談を促す掲示をする(2)赤ちゃんを預かったら必ず児童相談所へ通告する(3)安全や健康への配慮を徹底する(4)親が希望した時は、赤ちゃんを返せる仕組みを整える』、ことを指導するよう要望しつつ、「赤ちゃんの遺棄はあってはならないが、遺棄されて死亡するという事件が現実にある。今回は十分な配慮がなされてポストがつくられれば、認めないという理由はない」として、厚労省は2月22日、市に対し「医療法や児童福祉法などに違反しない」として設置を認める見解を示した。だが、今回の判断は安全に配慮した病院からの申請であることを考慮したもので、「赤ちゃんポストすべてにあてはまる方針を示したものではない」と強調している。設置病院は、新生児の安全や福祉に責任を持つべきだとの見解を示している。

 「赤ちゃんポスト」の発祥は7年前、ハンブルクで乳児の死体遺棄事件が相次ぎ、保育所と託児所を運営する社団法人が一人でも多くの命を救おうと設置したのが始まりという。現在は計画中のものも含めて全土で90カ所に広がっており、慈恵病院もドイツの事例を参考にしたというが、「遺棄事件が減ったとか、ポストが十分機能しているといったデータはまだない。現状では必ずしも効果があったとはいえない」との指摘がある。また、ローマで去年12月、総合病院に「赤ちゃんポスト」が設置され、2月24日夜、男児が保護されたというが、生命観、宗教観、社会情勢の異なる諸外国と同等の論議・対応はなじむものではない。。

 慈恵病院が計画している赤ちゃんポスト(慈恵病院では「こうのとりのゆりかご」と呼んでいる)は、病院の外壁に縦45センチ、横65センチの扉を取り付け、新生児の体温に近い36度前後に保った保育器が内部にはめ込まれている。赤ちゃんが置かれるとセンサーが重さを感知して警報を鳴らし、看護師や当直の医師が24時間体制で保護、診察する。扉は自由に開閉できるため、親は匿名で赤ちゃんを入れることができるが、病院側は預けた親に再考を促し、相談にくるよう呼びかける手紙も置くという。

 首相は23日、「匿名で子どもを置いていけるものをつくるのが良いのかどうかというと、私は大変抵抗を感じる」と強い難色を示し、関係閣僚からも慎重論が相次ぎ、政府内に波紋が広がっているという。為政者は今回の問題に対して抵抗感云々でなく、こうした問題の法的整備についての論議を進める立場にある。我が国で今までに考えもつかなかった深刻な問題に対して、「人命の尊重」は安易に唱えることができても、現実に育児放棄、子殺しが日常的に起こっている。その根本問題を、単に個人だけの問題で終わりにしない施策が望まれる。

 「赤ちゃんポスト」は生命を危うくしている命を助けることができても、子捨てを助長すること、命に対する軽視につながらないか、大いに危惧が残る。最大の問題点は「その後、里親、児童施設で育てられても、親が誰か分からない子どもが増加した場合、そうした子ども同士が将来結婚することになったら新たな問題が生じる」ことにある。事情が何であれ、育児をできない状態で出産することは非難されなければなるまい。人命尊重は誰も否定しないとしても、「赤ちゃんポスト」は、少なくとも親が誰であるかが分かる方法を模索しない限り、安易に認められるものとは思えない。
 「ポスト」の名はいかにも命を物として扱いかねない印象を拭えない。「命は地球より重い」と言うが、そんな重さに耐えられるポストがあってはならない。命は暖かさを持った手渡しで引き継がれるものでありたい。

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