日々の抄

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  十文半の足袋でした

2007年03月04日(日)

 インフルエンザ治療薬タミフルに伴う、幻覚などの異常行動が問題になっている中、投与を躊躇ったり、投薬後の看護に神経を尖らせていることが伝えられている。そうした時に、危ない「思い違い」が起こりそうになっていた。

 川崎市の休日急患診療所の薬局で、服用量の約4倍のインフルエンザ治療薬「タミフルドライシロップ」(タミフル含有は3%)を調剤し、区内の5〜7歳の子ども三人に処方したという。その理由が「思い違い」によるものだった。この「事件」を発表した川崎市によると、「診療所でインフルエンザと診断された子ども三人に薬局で調剤する際、計量器の計測単位が、通常使う「グラム」ではなく「匁もんめ」に設定されていた。一匁は約3.75グラムのため処方した量は約四倍になった」という。危うく多すぎる服用を回避できたのは母親の注意深さであった。5歳男児の母親が帰宅後に服用させようとして、以前処方された量より多いことに気づき、薬局に問い合わせてミスが判明した。薬剤師がほかに処方した別の男児と女児は既に一回服用していたが幸いなことに、(今のところ)副作用などは出ていないという。処方量は体重で決まるが、今回服用した子どもで多いのは5.5グラムだったという。

 度量衡の単位は時代とともに変わるが、私が小さいときは尺貫法も使っていた。目方(秤で量る重さ)の 1貫は3.75キログラムで1貫が1000匁である。1912年(大正10年)までわが国質量の基本単位だったが、1959年(昭和34年)の尺貫法廃止施行により、取引・証明に使用できなくなった。貫のつく言葉に貫徹、貫禄、突貫などがあるが、目方の単位と何らかの関係があるのだろう。

 子どもの遊び「花いちもんめ」の「いちもんめ」は1匁なのだろう。「勝ってうれしい花3.75グラム」では、歌にならない。太めの友達をはやし立てるときに「百貫デブ」と言った覚えがある。「もんめ」は、銭を数えるとき文目とし、銭1枚を1文としていた。そういえば、子どもの頃、駄菓子「鉄砲玉」を50銭で買った記憶がある。100銭(せん)が1円だった。安物の靴を「一銭五厘の靴履いて」などと言った記憶もあるが、そんな安い靴はなかった。

 長さの1尺は10/33メートル(=30.3センチメートル)、1尺=10寸だから、1寸=3.03センチメートルになる。また、1分ぶ=100尺=0.303センチ。諺に「1寸の虫にも5分の魂」というのがあるが、「3.03センチの長さの虫にも1.515センチの魂」ということになると訳が分からなくなる。サザエさんの漫画に尺取り虫を「センチ虫と呼ぶようになった」などとカツオ君が話している場面があったが、尺貫法廃止施行の頃だったのだろうか。長さの単位には他にも丈、間、厘、毛などというのがあったが、このうち、1間けん=6尺=1.818メートルだが、私が小学生の時は教室の入り口のガラス戸の上に「1間=1.818メートル」と赤字で書かれていた。長さの単位が変わっても、畳の大きさが1間×3尺は今も残っている。尺には、大尺、小尺、鯨尺、曲尺などがあったが、このうち裁縫の使うために鯨尺の竹の物差しがあった。鯨尺の1尺は約38センチメートルである。尺のつく言葉に、縮尺、物の尺度、間尺に合わぬなどが残っている。足袋の大きさを表した文もんは1文銭の大きさから決まった。十文半ともんはん、身長は5尺三寸などと言った。
 こうした、尺貫法の中で今も一般に使われているものがある。それは比率割合を表すのに、銀行の利率や野球の勝率で使われている割、分、厘、毛である。

 目方や長さの単位は生活に応じた必要性から用いられてきたのだろうが、いまだに匁の単位を使っていたことは驚きである。使用した秤は天秤ばかりなのか。デジタル式秤なのか。「・・・設定されている」の報道からするとデジタル式だったように思われる。今回の「思い違い」が賢明な母親の機転で回避できたことは素晴らしいが、一方で投薬した薬剤師はなぜ思い違いをしたのだろうか。慣れすぎの思いこみ、多忙による注意力不足などがあったのだろうか。薬剤師は匙加減を間違えるとひとの命に直結する危険性があることの警鐘と思わなければなるまい。ガソリンスタンドで灯油の代わりにガソリンを売ったことより危険な場合があるかもしれない。

 薬剤を計測するのに「匁」をいまだに使っている必然性が理解できない。もし、必然性がないなら危ない思いをしてまで「匁」に設定できる秤を使わないよう勧めたい。患者の家族が今回のように賢明な人とは限らないのだから。

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